ありふれた怖れでも、やはりとらわれる
踏み出しづらい理由は、昔から色々な哲学者や文学者が言葉を変えて綴ってきていることと何も変わらないのです。踏み出すということは、そこにどんな結果がついてきても、受け入れるということですからね。
でも、踏み出さないと踏み出さないことを選択したことになって、その選択の結果が結局返ってくるんだよ。だからまやかしの現状維持バイアス的なものは勢いぶっ飛ばして進まなくては。
こういう時、仲間がほしいとか書きましたけど、その発展形かもしれませんが、むしろライバルが必要なのかもしれないと思うわけです。
挑む人を見ると、憧れと負けるかという気持ちと、危機感とワクワクと、なんだか色々なものがないまぜになって、勝手に足が前に踏み出してたりするんですよね。ライバルは広義では仲間の一つですよね。少年漫画とかで敵と書いてともと読んだりするのも、むべなるかなです。
挑戦する人、目の前のことを一生懸命やっている人は見渡せばたくさんいるので、それを忘れないようにしたいのです。でも本当は、そういう概念として心を焚き付けるだけでは辛い時もあるので、身近で、より1人称的に、ふと横を見れば競い合える存在がいて、もっと切磋琢磨できたらいいんだけどな。