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3.闇色の研究「その人の『時』が待てない」
ネガティブもポジティブも、突き詰めると同じところにたどり着く。ヒントは、コインの裏側に潜んでいたりする。
「窮屈」と「退屈」を敢えて生産し続ける構造、仕組み、何かそういうプログラムがわざわざ組まれているような決まり悪さがあるのれtです。
レッテルを貼って、貼って、貼り続ける人
私の場づくりへの思いを生み出す、闇色の声の一つ。
「不出来は不出来のままでいてもらわないと困る」
言語化すると、素朴に不思議な声ですね。書いていて改めて「なんのこっちゃ?」と思いました。でも、明らかにこういうメッセージを受け取る瞬間があるのです。
そういうとき、ああ、消すことのできない「空気の烙印」を振り回す方なんだな、と、何とも言えない気持ちになります。
消すことのできない「空気の烙印」
相手についレッテルを貼ってしまう。「人間とはそういうもの」で済むことだろうか。もしかすると「あなたは全くレッテルを貼らないのですか?」と反駁されるのかもしれない。でもそれは、議論のすり替えだろうとも思うのです。
自分も、レッテルを貼っちゃうことはあるかもしれないけど、だから「よい」わけじゃないですよね。よくないものは、よくない。ときに未熟な自分も含めた上で、よろしくない。
もしこの現代に、本人の意思に反して物理的に「烙印」を押したら、人権問題ですよね。「空気の烙印」ならよいのか? そうではないと思います。
少なくとも、上司、組織の長がそれを率先してやる姿は、呆然とするというか、違和感しかないのです。
そもそも。私が目の当たりにしている情景は、ある新人や若手が、本当に「人としてやっちゃダメなやつ」をやらかしてしまったとか、そういう話ですらないわけです。単に、あるタイミングでの仕事の覚えが、ちょっと悪かった(その方が思い描いている「普通」とやらに比べて?)、とか、そんな話です。それで、本気で「空気の烙印」を焼き付けてしまう人が、現実に居ます。
更に残念ながら、そういう人が組織の「まぁまぁな影響力だな」という立場におられます。(それはその人自身というよりは、経営の課題かもしれないが…)
ただの悪口に聞こえる申送り事項はいらない
例えば、同じプロジェクトに新人・若手と呼ばれる立場の人が参画してくるとき。「えらい人」は当然、ベテラン勢、リーダー的な立場の人に「育成」を期待して声掛けしてきます。そこまでは、そりゃそうだろう、という自然なお話です。
でも、私の所属組織では、そこに余計な一言がついてくることがあります
ねっとり、もったい付けて「○○さんのことで困ったら、相談してくださいね…」と、婉曲に来る場合もあります。
ド直球で「アイツニハ キヲツケロ」と言われることもあります。
必ず、奇妙な笑顔が張り付いています。
あの名状しがたい笑顔は、そもそも何なのか…。
極力フラットに「どういう事ですか?」と聞いてみるようにします。
しかし、答えを聞いても何だか釈然としないことばかりです。
モゴモゴ言ってるのをがんばって要約すると「出来が悪い」「その割に、可愛げが無い」って言ってるだけじゃねぇか…と。
(たどり着いてポカーン、です…)
いや、チームとしての適材適所とか、リスク管理とかの視点で、スキル的に現時点では何ができる、こういうのは苦手とかは、教えてくれてもよいですよ。あるいは性格として「こういう依頼のされ方は、ちょっと苦手かもしれないから、気を付けてあげてほしい」とか、そういう「気づき」をあくまでもフラットに共有してくれるとかなら、なるほどなと理解します。
「人としてやっちゃダメなやつ」をやらかしてしまった(ハラスメントとか、背信行為とか、そういう具体的に懲罰レベルの案件)場合は、次元が全く別なので、淡々と粛々と、変な忖度せずに事実を申し送ってくれないと困りますが。それ以外だったら、ただの悪口に聞こえる申送り事項はいらない!
だいたい、不思議なんですけど、新人や若手を捕まえて「出来が悪い」みたいな言葉を安直に吐く方は、傾向としてご自身が仕事そもそも…いや、これ以上は言うまい。でも私の体感として、「デキル」と称される方って他者に向けて「出来が悪い」とか「あいつ仕事できない」って言葉、絶対使わないですよ。(何で使わないのかも、なんとなく分かりますよ)
良いところを報告すると、打ち消しに来る不思議
こんなときは、眉唾だな、怪しいもんだと思って、一旦忘れるようにしています。脳から消すことは残念ながらできませんが、意図的に上書きして。
で、実際にどうなるか?
よく分からない悪口の申し送りに意味があったことは、実感としてほぼありません。誰であっても、得意なことは得意、苦手なことは苦手、そして、その人なりのペースがあるなと思うだけ。それ以上でも、それ以下でもないのです。
当然、こういうところが強みなのかな、良いな、素敵だなと思う部分も、その人なりに見えてきます。この局面では頑張ったな、というところもエピソード付きで出てくるわけです。
別に、無理やり探しているわけでもありません。
私が個人的にそう思うだけでなく、お客さまがその人に感謝の言葉を述べたり、良いところをフィードバックしてくれることだってあります。
そもそも、その人を採用しているわけですから、経営者が○○でない限り、それなりの活躍をしてくれるのも、自然な話だと思います。
で。何だか悪口めいたことを言われていたのも解せないし、良いことも事実として報告しようかな、と思って、エピソード、お客さまの言葉なども具体的に交えて、今度は私から申し送ります。
すると、不思議なことに。
「そんなはずはない」とか「何故か、今の現場では活躍しているようですが」とか「そうなのかもしれないけど、彼は彼女は○○だから気を付けてください」みたいな返答をしてくる方がいます。当人のみならず、私に対しても、お客さまに対しても、物凄く失礼なんだが…。何故かそう言っても伝わらないらしい。最悪堂々巡りになります。
その人の『時』が待てない
私はそう「出来た」人間ではないので、ここに至っては、内心では多少なりとも怒りの感情を覚えてしまいます。一度烙印を押したら、汚名返上絶対させてやらないぞ、という頑なさも疑問ではありますが、それより先に気がかりなのは、そもそも最初の烙印自体が不当なものに見えることです。
出来るの出来ないのと、短絡的に人を評価すること自体も、あまり好きではないですが、百歩譲って、その軸でとらえたとしても。
「そもそも、彼は彼女は、順当に、それなりに、下手するときらめくように優秀でないかい? 少なくとも若いころのあなたよりは、ね」
というケースが多い。
ただ、それでは解決しないのです。だって、そういう悪口の申し送りをしてくる人って、何故か本気に見えるから。そして、ものすごく「善意」で、悪口を申し送ってくるから。私から見れば間違っているとはいえ、本気で私を心配してくれているらしいから。余計始末に負えない。
そもそも何故なんだろう、を私なりに考えてみると。
そういうレッテルを貼って、貼って、貼り続ける方は、やはり本気なんだろうと思うのです。本気で、その人なりの必死な思いで、でも短絡的に「こいつはダメだ」と信じているのだろうと。
その背景には、色々な根深い問題が潜んでいるのでしょうけど。
特に「人にはそれぞれの『時』がある」ということへの無理解が、横たわっているような気がしてきました。
その人の『時』が待てない。だから瞬間の評価を硬直化させてしまう。
そうはいっても、大人が変わるのは、自分で変わりたいと思っていてさえなかなか難しい。まして思っていないなら。
…どうやって、解きほぐして行けばよいんだろうな。
でも、そういうことに目をそらさず向き合いながら、一つずつ、着実に場づくりしてゆくしか、結局できそうにないんだよな。