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総量と、配分と、境界線と
今年もお誘いいただきました。青学WSD34期 Advent Calendar 2024とWSD Advent Calendar 2024(2つ目)の15日目です! WSD34期生誕生日だと勝手に思っている15日を今年もキープ!
別々に記事を書こうかと思いましたが、まさに本編の内容通り、エネルギーの総量と自分自身の境界線の引き方に猛烈に葛藤しているので、このカレンダーくらいは越境してやろうと思いました。
カレンダーの期間が終わるまでにもし余力が生まれたらもう1つくらい何か書いてもっと両方にしっかり参加した感が出せるといいなぁ…。
総量と、配分と、すり減る私と
義務にかられてこのアドベントカレンダー記事を書くのはなんか違うのです。でも最近は、理由をつけないとなかなか書けないのも事実です。
アウトプットの総量はむしろ増えているのですが、ここてはない何処かで発振しているから、増えれば増えるほど減るのです。算数のように。
多くの人がそう嘆くように、私も私の人数が足りません。
あと何人か必要です。
境界線のない世界だから手段だって目的になる
場づくりの経験値を上げたい思いはあります。
それは手段の目的化と紙一重なのかもしれませんが、場づくりということ自体が、いつ何時とっさに目の前に現れて、必要に迫られるかわからないものだと感じているからでもあります。
必要な場で自然と研鑽して覚えるだけでは、少なくとも私は手数が足りないのです。練習していなければ試合で力を発揮できないものですが、問題なのは場づくりにおける試合は、○○全国大会のように計画的に参加する者じゃなくて、唐突にヒトとヒトとの関係で必要になるものだということです。
いつでも、とつぜん明日が試合でも困らないように備えていなくては、結局何もできない。思うように動けないのです。
でも総量が足りないんだ
世の中の境界線は、もしかしたら人々の壊す努力で、あるいは自然の必然でどんどん越境してゆくのに、あるいは越境してゆきたいのに、私自身の内側にとてもたくさんの境界線が引かれています。
○○としての私。△△としての私。
それぞれに全力投球したくて、相容れなくて、境界線を越えることができなくて、バラバラに分かれた私のそれぞれが使える容量は余裕をなくしてゆきます。そのうちの何人かの私はまさに場づくりを通じてナニカがしたいのに、私のうちにある境界線ができることをどんどん狭めて心を削ってゆくような気もします。
ヒトとヒトとの間に対話を促すための考え方を学び続けることはできるのに、自分の内側の壁だけは壊れない。むしろ強固にそびえたってゆきます。それをどうこうするには、少なくともまだまだ時間がかかる気がして、壁に隔たれたたくさんの私のそれぞれの夢や希望や野望の実現のための総量がまるで足りません。
答えはわかっているけれど、壁は壊れない
おもしろがる方法。
おもしろがる仲間。
対話の奥深さ。
学びの楽しさ。
WSDはたくさんのものを教えてくれるけど、誰かから与えられただけのどんな学びも、私を変える最後のきっかけにはなりえない。それを壊すことができるのは自分しかいない。結局のところ。
私の壁はいつ壊せるだろう。最後まで壊れない壁も結局あるのだろうなとも思うし、そういうものだと思いもするけれど。これまでに壊した壁もないわけじゃないし、必要なものはやはり壊すしかないのです。
総量と、配分と、境界線とが、少ない選択肢でも、今日よりは選択可能にしてゆくから。
壊すことができないなら、これからもきっと私の人数が足りません。