自分を突き動かす感情が「うんざり」だなんてうんざりだ
自分のアンテナが、何かしらの現状に「違う! そうじゃない!」と叫ぶときは基本的に何かがあると思って、それを大事するようにしています。
大抵後で紐解くと、やっぱりそこには何かの匂いがあったと分かるので。
だから、ネガティブと一般的にカテゴライズされる思いでも、そのアラートが機能しているのは、機能していないよりはずっと良いはずと思って、少なくとも見ないふりだけはしないようにしよう、と思っていて。
うんざりだ! と心が感じるなら。
その正体をどうにかじわじわじっくり突き詰めて、ここをこうしたら何か良い方に風が吹いてゆくかもしれない、と思うことを、一つずつやってみようと考えるわけです。
だから、うんざりを無かったことにして、考えない道には進めない。
突き動かされる感覚を麻痺させても、却って無理が来る。
それでも、自分を突き動かす感情が「うんざり」であることが長く続くのは、やっぱり健全ではない。中にはそれもあって良いけども、「ワクワク」なんかも織り交ざってこないと。
なのでいまちょっと、「うんざり」することに、うんざりしている。
「ワクワク」にワクワクしたいなあ。そして「楽しいから、楽しい!」とか「ワクワクするから、ワクワク」する、みたいな、変な日本語を使いたい!
ワクワクすることにワクワクする場づくり…いいなぁ。