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心理的安全性についてあれこれ考えていると

過去の、あまり楽しいとは言えないささやかな体験の後ろに何があったのか、心理的安全性の概念を色々知って、知ろうとして考えてゆくと、気づくことがあって。

符合した概念にはっとして、一つひとつの実際の体験に納得の意味づけも出来たような気になって。「だから、あの時あれほど辛かったのか」とか、結構生々しく納得したりもするのですが…。

いざ、その経験もばねに「だから、こういう風にしてゆきましょうよ」「こういう取り組みをしましょうよ」「むしろ場づくりをしましょうよ」という風に、提案を説得力があるように組み立てようとすると、自分の腹落ち感とどんどん離れていくように、いかにも嘘っぽい、まとまらないものになってしまう。

とても腹落ちしたはずなのに、それが実はただの思い込みだったのかも、ともう一度不安なところに戻ってきてしまうのです。

この、概念を消化しきれない、居心地の悪さはいったい何で、どこからくるのだろうなぁ。

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