物語の誰に共感を覚えるかで、見えてくるもの
WSDの実践では、皆が知っている物語をベースにしたワークショップを開催しているチームもありました。
自分が参加したわけではないため、内容こそ分かりませんが、桃太郎がどうのという楽しげな企画の声が聞こえたり。RPGっぽく、自分の役割や名前を決めて参加するものもありましたね。
物語は『肩書はずし』に効果的。なにより『楽しさ』『ワクワク』『非日常感』にもつながるので、ハイジャンプが生まれやすく、混沌の名残みたいな宿題も残りやすく。好きなタイプのワークショップです。
ワークショップと大げさに捉えるまでもなく、何らかの物語作品に触れるとき、そこで自分の琴線に一番触れるキャラクターを意識して見つめると、普段は意識していない自分の本質に、ふいに触れてしまう時があります。
キャラクターに対する『好き』にも色々な種類があって。
憧れもあれば、共感もある。
自分に似ているから嫌いもあるし、自分に似ているから好きもある。
こうなりたいけど無理だなという憧憬の象徴の場合もある。
自分の考えとは違うけど、こういう人のおかげで助かるんだよな、みたいな経験からくる理性のこともある。
違和感からくる正体不明の興味もある。
もちろん現実の人間関係でも、そういう色々なグラデーションで他者に惹かれ、気づくことはあります。
しかし、物語世界のキャラクターの場合、自分がその世界観の利害に直接関係していないため、余計な要素が消えて、本質がむき出しになるようなものもあります。自分の事どう思っているだろうとか、嫌われたらどうしようみたいな雑念も生まれませんので、ピュアに考えが投影されます。
で、ごく最近触れた作品でも、そういえば自分はこの人にめちゃめちゃ共感して、つい無意識に物語をこの人の視点から見てるな、ということに気づいて(主人公ではない)。そこから見えてくる自分の本質や強みが、「こうなりたい」と積み重ねた自分像や、いま自分が描いている夢とは、少しずれているような気がしたのです。
これはどういうことなのだろう。
「こうなりたい」と積み重ねた自分にも嘘はない。
だけど、自分の本当に生かすべき本質とは、まだうまくかみ合わさっていないのかもしれない。
簡単に答えの出る気づきではないけど、大事にしたいと思ったので刻んでみました。