鎖を解き放って走りだしたいけど
鎖がどうとかいう以前に、脚力とか走力の方が大問題じゃあ!
色々、外的要因でうまくいかないのは世の常で。
と、簡単に言えばそういう事ですが、それにしたってちょっと理不尽やないかい? というのがちょっと長く続きすぎたりすることもあって。
動物でも人間でも、挑戦しても何も変わらない環境に置くと、挑戦しないことを学習するという、有名な心理学の実験もあったりで。
正直、ヒーロー漫画の主人公的なメンタリティでも何でもないので、周りのせいにしないで、信じて信じて貫くみたいな直球ピュアハートにはなれないのですが。
でも、自分が一つの生き物として、油断したら簡単に無気力を学習してしまうらしいというのは、実験されるまでもなく本能でわかっているから、そんな自然の摂理に、みすみす屈するのは御免だ。言い訳しようと思えば逃げられる、もっともらしい論理に負けたくはない。そういう変な執念と負けず嫌いで自分を奮い立たせ続けている気がする。
チャンスが無いからと腐っている間に、自分自身の力の方が、きちんと磨き続けられてなかったり、それでいざその時が来た時に、自分が原因で走れないのは、嫌だ。
だから走り続ける。でも、多分やっぱりそれは、自然というか、大脳の表層的な摂理を捻じ曲げているので、苦しいのです。でも、どうも私にはそれでも押し上げる思いの方が、さらに奥に隠れた本当の本能なんじゃないかという確信の方が強いのです。
人は無気力を学習する。しかし、そのこと自体に恐怖を感じて自分を駆り立てるものを、さらに奥に持っている気がする。何かとてつもなく根源的で、もしかしたら直近の生命維持とか、精神の安寧とは相反する、よく分からない進化への衝動みたいなものを持っている気がするのです。
鎖を解き放って走りだしたいけど、そのために自分を磨く時間が1秒でも多く欲しいんです。人生は本当に、悔しいほど短い。