場が盛り上がるための最初の仕掛けは、ただ愚直な準備
そういえば、全然WSDとか知らず完全に独学で「会議とは」とか、「ファシリテーションとは」とか勉強してジタバタしていたころ。
それでも時々、
「何故か、しょーじぃさんに任せたら会議が盛り上がったんだけど?」
と『奇妙なものを見たかのように』感謝と苦笑いをされたことが、何度かあったような気がします。
私は、その時大いに違和感を感じました。その発言の裏に「あの参加者さんたちは、会議なんかにちゃんと参加してくれない人のはずなのに」という意味が、ほんの少し含まれているような印象だったのですね。
「ちゃんとやってほしいなぁーと思っていても、彼ら彼女らは『そういう人たち』だからやらないんだ」「どうせ、自分の意見なんか言ってくれない、全然発言してくれないはずなんだ」と、常々思ってきた背景を、露骨に滲ませている。
要するに、これまでは参加者のせいにしてきたのに、その参加者がちゃんとやることもあるところを見てしまったら、つまり、これまでのやり方が何か悪かったかもしれないということになる、それが決まり悪いらしいので。
その、決まりの悪さというか、立つ瀬のなさにモゾモゾする。だからつい「何故か」って、不思議現象に認定してしまえ、みたいな言い方になるのだなと。
でも、その反面、会議を盛り上げてくれたことには、理性では感謝しなくちゃとは、一応思っている…みたいな。
なんとも、煮え切らない感謝をされたような感覚がありました。
でもねぇ。
あきらかに、違うところあったでしょって、思ったわけです。
念のため振り返っておきますと。その時の私の会議スキルなんて、正直今よりもはるかに未熟で(今も別に素晴らしくうまいなんてことはなく、準備の引き出しが多少増えたレベルでヒーヒー言ってますが)、たぶんそんな奇跡みたいな会議はそもそも開催していません。
通常の「会議ごっこ」があまりにもお粗末だったので、一応会議らしいところまでこぎつけた程度でも、比較として何だか異様に盛り上がったように見えたということで。
何をしたかと言えば、ただ、愚直に準備をした。
あと、振り返りをした。やり方自体は未熟だったけど、とにかくその時にできる準備をした。本当にそれだけ。
逆に言えば、本当にそれだけで、相対的に「劇的に」盛り上るほど、その「場」は「まともな準備に」潜在的に飢えていたのかもしれません。