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話すときに聞く相手のことをもっと思いたい
私の字は、特別極めつけの悪筆というのとも違うけど、美しい文字というわけでもない。そんな字です。友人には「でもなんでか読みやすい」と言われたこともあるけど、極め付けではなくても、やっぱり微妙に悪筆寄りの普通の字くらいではないだろうか。
でも、よく子どもの頃に言われたのは、(造形として)美しい字は、必ずしも書けなくてもいいけど、丁寧に書きなさい、ということでした。
ちゃんとは分かっていなかったかもしれないけど、それなりになるほどと思ったから、心に残っていたんだと思います。
で、私は、話すのも得意ってわけではありません。例えば、会う人ほぼ誰からも指摘されるほど滑舌が悪いだとか、どんなに頑張って話しても、人からは消え入りそうな声と言われてしまうとか、逆に自分の意に反して、声が通り過ぎるだとか、そういう分かりやすいコンプレックスがあるほどではない。
でも、自分の声を聴くと、やっぱりいわゆるきちんとトレーニングしている人のような、明瞭さはなくて。自分の声自体も、正直好きというわけでもなくて。そりゃ、相応の努力をしてきたわけでもないから、今の時点としては仕方ないとは思うけど、やはりまだまだ。伝わりやすい話し方には程遠いなと思うし。
でもそんな私でも、最近は、美しい声とか、完璧に伝わりやすい発声がいきなりは無理でも、伝えるメッセージに合った話し方くらいは、意識して、何なら演者になった気持ちで、心掛けたいな、と思うようになってます。
あいさつなら、私なりに明るく。
多くの人に話しかける立場なら、伝わる間を意識して。
内容にもよるけどやっぱり基本的には、前向きな伝えたい思いを込めて。
美麗な声とだか、誰もが圧倒される分かりやすさはなくても、聞いてて嫌だなって思う話し方をしないように。
そういう気持ちだけはもちたいなって。もちろん、それでも技術的に聞き苦しさはとか、もっとこうしたらという思いは多分残るけど。
そして、それって、字がうまくなくても丁寧に書こうとすることと、同じなのかなって。
丁寧に書こうとしてくれた気持ちは、文字から伝わる。それが、お世辞にも上手な字というわけではなくても。何か伝わる。
話し方もそうだと思う。