ファシリテーターはファシリテーションでしか育たない、のかな
タイトルに書いたことは、半分本当に「そうだな」って思っていて、半分は「いや、言葉のとらえ方によっては、そうじゃないかもな」って思っていること。
でも、総合的に考えたら、やっぱり「そうだな」でまとまる。
例えるなら、地道な基礎訓練とか、別種目の経験で鍛えられた傑出した身体能力みたいなものがあったら、そりゃ、大抵のスポーツは、それが無い人よりはうまくなるし、そのスポーツ自体の経験値じゃなくても、生きてきますよね。
場合によっては、運動能力だけじゃなくて、考え方とか、練習場所を押さえる社会的スキルとか、生々しいところでは財力とかだって、プラスになったりするかもしれない。
でも、スポーツのある種目をやる以上、最後の最後には、そのスポーツのルールを知っている事、というのが大前提になる。
そこだけは、脳そのものが強かろうと、身体能力がスーパースターでも、避けられない。
その、スポーツにおける特定の種目の「ルール」の部分に該当するようなものごとの最後の砦は、それ自体に向き合わないと身につかない。
そういう最後の砦は、ファシリテーションにもあって。
色々な経験でファシリテーターとしての姿勢の根本を途方もなく潜在的に身につけていたとしても、やっぱりドンピシャでファシリテーターを実践しないと、最後に必要なものは身につかないんだろうなと。
急ピッチの準備と並行で、結構ハードル高い場にも遭遇して、その場で動いたり観察していて、何だかそんなことを強く実感しました。
ただ、ある程度、とにかく地道な、基礎練習を積んでいると。
あるタイミングから、毎日学びが勝手に向こうからやってくるのも、それはそれで真実です。
これも、周りが変わる(引き寄せだす)部分もあるだろうし、受け止める側のアンテナが立つのもあるんだろうなと思います。
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