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その瞬間に余裕がない誰かのための言語化

ここ数日、極限まで余裕がなくて(当人比)、言語化のリソースさえも、どの目的の何に割り当てるか自分の中で壮絶な奪い合いが起きてました。

いわば自分のインナーで起きるゼロサムゲーム、なのか?

共有しないといけない情報、取捨選択、ピリビリしてました。実はそんな中にこそ、気付きの火花みたいなものもバチバチはぜているのですが、めちゃめちゃもったいないけど全部捉えて掴んでいる時間もない。

そんなときに、たまたま、ちょうど自分のモヤモヤと重なることを、本当にたまたま地球のどこかで同時期に、発信してくれる人がいて。

そして幸いなことに、現代ではそれが本当にお互いのもとに届く。もちろん、まだ届いていない何かも、たくさんあるだろうけど。

別に私のためではなかったかもしれないその言語化が、そのタイミングによって背中を押してくれたり、火花を明確にしてくれたり。

それが過去の自分の場合もあったりして。これはもう、言語化のリレーなんだな、というか。つなごうとするまでもなく、気づく気持ちがあれば、そもそも私たちはつながっている。

だから無理なときは、無理につながろうとしなくても、そもそもつながってるし。でもそれは、ちょっとだけ心に余裕があるときに、自分ではない誰かのことを、もしかしたら出会ったことも、これから出会うこともない誰かのことを考えて、少しでもそのリレーに参加してるから、そう思えるのかもな。

さて、プランBを、いろいろ厳しいけど考える!

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