そもそも「場」に期待したことが無い(かもしれない)相手に
もうこれは、ワークショップとまで発展させず、会議という枠で考えても同じことなのですが。
会議というものにそもそも期待をかけるポジティブな感覚を持っていない人もいて。そういう方が多い場所にいると、そもそも「会議をもっと良くしよう」という提案自体が、びっくりするぐらい響きません。糠に釘というか、暖簾に腕押しというか。ましてやワークショップなんて、宇宙からきた言葉みたいに聞こえるらしいです。
「会議というものが良くなるはずがない」と、完全に閉じた世界がその人たちのあたりまえになっているのかな? と想像してみます。
もしかしたらさらにもっと何かあるのかもしれないので、あまりそう決めつけるのも良くないけど、仮説として、そう考えてみます。
「会議を良くしよう」は、その方たちにとっては賛成とか反対とかそういう次元の言葉ではないのかもしれません。「そもそも日本語としておかしいことを言ってる」「論理的に変なことを言っている」位に、奇妙奇天烈に聞こえているのかも。
実際にきちんとした会議やワークショップを体験してもらうと、素直に「会議って楽しいですよね!」って返してくれる人も居ます。でも、会議が楽しい訳がない世界観の人たちは、自分が体験してもまず一回では響かない。それどころか、複数回にわたって巻き込んでもなお、響かない人にはピクリとも響かないのです。
その人たちの世界にもその人たちの価値観が何かあるわけなので、ごり押ししても仕方ないですが、逆に「楽しいですよね!」と感じてくれた人たちに、会議が楽しい訳がないというその世界観の理屈をごり押しされ続けても、やっぱりそれはそれで困るわけで…。
まずは、楽しいと思った人に、少しでも楽しいと思い続けてもらうために、何ができるか? それが問題だなと感じています。