4.闇色の研究「あなたにはその学びが『苦行』でも」
ネガティブもポジティブも、突き詰めると同じところにたどり着く。ヒントは、コインの裏側に潜んでいたりする。
「窮屈」と「退屈」を敢えて生産し続ける構造、仕組み、何かそういうプログラムがわざわざ組まれているような決まり悪さがあるのです。
「学ぶことが好きな人」の場所だけがない
私の場づくりへの思いを生み出す、闇色の声の一つ。
「学ぶことはたいへんだから、無理やりやらせなくちゃ、やるわけがない」
以前こういうことを書いたので、その裏返しというかなんというか。
組織の取り組みとして、一人ひとりの学びを推進しようと考える。
これ自体は、良いことだと思います。
でも、学ぶということをイヤイヤ「苦行」と受け止めてやってきた人は、良かれと思っているのでしょうが、トンデモ設計をかっ飛ばしてきます。すべてが裏目、裏目に。
どう裏目なのかは、またここでいきなり掘り下げに行くと大変なことになるので、この「闇色の研究」の中で少しずつ突き詰めてゆきたいです。
トンデモ設計だと、何が致命的にまずいのか?
自発的に学ぶ力を持つ人の居場所を、ガリガリ削ってゆきます。
その意欲をすごいスピードで削いでゆきます。
なんかもう、ファミコン時代のゲームによく見かけた、ちょっとえげつなさすぎるダメージ床とか、冗談みたいなアタリ判定を思い出す。
無理、無理、無理、無理!!!!!
なんのために、一人ひとりの学びを推進するの?
推進していることにしたいから? 推進するテイにすること自体が目的なのだろうか?
既にブーストしている学びを痛めつけて苦しめて、息の根さえ止めてしまうは何故なのか?
まずは、既に自力で学びのサイクルを創りだしている人も含めて、一人ひとりの心や行動のありようを、フラットに観察することから始めてもらえないものだろうか?
それができたら、きっと、少なくともこんな悲劇は起きないと思っている。
簡単ではないかもしれないけど、だからといって難しいわけでもないはずで。
だけど、組織の力学とか色々あって、何故か、色々模索しても、働きかけても、一向に前に進むことができない。苦しい時期がずっと続いています。