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そして「手法の暴走」を何度か目にした(3)

先日、遠い昔の、私自身の会議への取り組みを色々と思い出して、「何故か」会議が盛り上がった話を書きました。

実はこれは一回だけのエピソードではなく、少し時間をおいて何度か、会議を担当したら「何故か」盛り上がって驚かれた事案があったのですが。

毎回、少し気持ちの滅入るおまけが付いてきたんだよな…と、苦い記憶がよみがえりました。

アイデア発想法が、妥当ではないテーマも

KPTでもやっとする出来事はありましたが、まだ本当に何が問題なのかまでは思い至っていなかったころ。

色々なカイゼンの意見を挙げてみる場が必要で悩んでいる人がいたので、ブレインライティングをやってみることにしました。とはいえ、その回は提案と準備の一部を手伝ったまでで、会議自体は別の方(悩んでいたご本人)が実施しました。

その場は、そこまで大きく盛り上がったというわけでもないですが、こんなやり方もあるんだー、くらいの軽い反響はあって、つつがなく終了しました。

KPTほどはた目に「跳ねた」訳でもなかったのが幸いしてか、この手法が独り歩きしてローカルで流行ったりはしませんでした。しかし、この時の主催者さんは、この手法をやはり誤って覚え込んでしまっていたのです。

それが判明したのは、開催からかなり(年月レベルで)経過してから。

まさしく、その方が。
ある時からピンポイントで、結構根の深いブレインライティングの誤用(応用ではない、完全な誤用)を繰り返すようになりました。

本質的には質より量のアイデア出しの手法なのに、そういう形をとること自体が、メッセージとして不謹慎なほど深刻で、全くそぐわない場面にフォーマットだけ使用したり。

しかも、その方の会議だけで誤用しているならまだしも、それを他の人にも実施させようとしだしたり。

そんな当時の自分の予測の、悪い意味ではるか斜め上を行くようなドタバタを目にして。

もし今後、何か新しい手法を再び提案したいなら。
少なくとも、この組織では。

その手法を扱えるファシリテーターを同時にどうやって育て、誤用を防ぐのか、までを、責任もって考えておかなければダメなのだ、と痛感したのでした。

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