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なにより、そこに楽しさはあるかと問い続けたい

「楽しかった!」というのは、私にとっては、何をするにおいても最上位の言語化の結晶なのだなと思います。

思い返せば、「楽しかった」という言葉には、子どもの頃の不思議な思い出がありますね。

作文、読書感想文を書くとき、油断するとついつい「楽しかったです」「面白かったです」を繰り返し書いてしまう。

読む人をうんざりさせるだろうというのは子ども心に分かっていました。
というか、自分が読んでもちょっとうんざりしたような。
(語彙とかボキャブラリーという言葉を意識したのはどちらかと言えば早い方だったのかも)

そこで、わーっとある程度書いた後で、「推敲」と称して、ある種の「言葉刈り(狩りではない)」を習慣化していた記憶があります。

楽しかったです
面白かったです
思いました

みたいな、あるある言葉を視覚的に検索して。
これは本当は、具体化したら、どんな言葉? って問いかけて、書き換えて。

「ちょっと変換しすぎて、かえって不自然だな…」みたいになったら、いい塩梅に多少元に度したりして。そしてまたやりすぎて、よく分からなくなって、一日寝かせてみたり。

だけど。

もちろんそれはそれで、自分の本当に思っていることに対して解像度を上げることになるし、とても大切なんですけど。

人間の脳には、あえて言語化しすぎないほうが研ぎ澄まされる、直感センサーみたいなものもあって。

だから、楽しいから、楽しい! という言葉を敢えて選んだ方が、実はより本質になる場合があって。

ワークショップが終わった時、えーっと…って感想とか学びを言語化するよりほんの少し前に、直感で、本能で、つい「楽しかった」が先に出てくるような状態になれる。それは一番大事にしたいと思うのです。

その次に、どんな言葉が出てきてほしいのか、は、コンセプトとして何を選ぶのかで変わりそうですけど、その前に必ず「楽しかった」の一言が、ぽろっと口をついて出てきてほしいのです。

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