一つのワークショップが終わる頃には
例えば、仮にその参加者がその後、ほぼ会うことがなかったりしたとしても、お互いのことをワークショップの始まりの時より、この人は、一人の○○さんという人なんだなって、当たり前に思えていたらよいなぁと。
先日の場づくりは、あくまでもその後も関わる人同士が参加者だったのに、反応を見ていたら、何故かそんな風に感じました。
散歩中の犬とすれ違うと、私はそれだけで幸せになっちゃったりするんです。すれ違うその瞬間、犬の全身から伝わっている『一秒を一生懸命生きてますが、何か!?』みたいな、問答無用のひたむきさに、本能的にズギュンとやられてしまう、みたいなところがあります。
ワークショップって、人間が本来持っている根源的能動性を取り戻す場なんですよっていう話を、何度も噛みしめたWSDでしたが、私が犬とすれ違う時に感じるひたむきさって、多分ワークショップで人同士でも触れることのできる、根源的能動性と同じものなんじゃないかと思ったり。
そうかんがえると、私が犬を好きな理由とワークショップを好きな理由は一緒なのかもしれない。私は一秒をできればひたむきさを失わずに生きていたい。それを忘れてしまいかねない日常から、魂を揺り起こして揺さぶって、何かに没頭してぶつかっていたいのです。