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12.闇色の研究「その不安を生み出すものは」
ネガティブもポジティブも、突き詰めると同じところにたどり着く。ヒントは、コインの裏側に潜んでいたりする。
「窮屈」と「退屈」を敢えて生産し続ける構造、仕組み、何かそういうプログラムがわざわざ組まれているような決まり悪さがあるのです。
堂々巡りに終止符を
私の場づくりへの思いを生み出す、闇色の声の一つ。
「教えてくれないのが悪い」
これと少し似た声をきっかけに、ニンジン過剰投下の問題について、考えました。
「言われないとやりません」という声にばかりフォーカスしすぎて、過剰なニンジンと鞭をお見舞いしてしまう。そんな「立場のある人」たち。
そこでは、自走している人間の気持ちは、学びたい人の気持ちは、何故か徹底的に無視してしまう。居ないことにされてしまう不思議。
そんな残念さに、ひたひたじわじわと感じる怒りを見つめたわけですが…。
そもそも、全く根拠なく、そんなことが起きるはずもないですよね。
過剰なニンジンシャワーを引き起こしたのは、それを決める「立場のある人」たちにも、彼ら彼女らなりの不安があるからです。
恐らく、とてつもない心配があるからなのです。
ひょっとしたら、何か本当にトラウマ的な体験の一つや二つ、あったりするのかもしれません。
「どうせ、残念な結果になるんじゃないか」
「新人若手は、ちゃんとやってくれないんじゃないだろうか」
疑心暗鬼に陥っているからこそ、後から後から、ニンジンを投げ込んできているのです。
だからといって「不安なら、それも仕方ないね」とは思いません。
その結果、学ぶことが好きな人が、ちょっと目も当てられないくらいとばっちりを食らって、リアルに傷ついたり、急速に意欲を減退したりという弊害を、残念ながら何度も目の当たりにしていますから。
でも、この不安をただ無視しても、うまくゆくわけがありません。
だからこそ、その不安を払しょくするためにも、もともと学ぶのが好きな人こそが「学ぶの楽し―! ヒャッハー!」って、心底、楽しそうな姿を周囲に見せられるようにしたいし。そのために、草の根的に、生き生きした場づくりがしたいという思いがさらに募りもして。
きっとその積み重ねの末に、おかしな疑心暗鬼や不安はも、溶けてゆくんじゃないのかなって、私は信じているわけですよ。でもそれには、まずこの奇妙なニンジンシャワーを止めないと…。
あれ? でも、不安だからこそ、投げてるんだったっけな?
…堂々巡りしてる!
どこかにくさびを打って、止めなくては。じわじわ、じわじわと!