「自分の居場所は作るべき?探すべき?」
「自分の居場所は作るべき?探すべき?」
本日2022年9月24日の土曜日。台風15号も温帯低気圧に変わり、僕がいきなりくらった激痛の便秘(ガス溜まり)も回復。そんな朝、ベットで目が覚め、急に頭を走ったワード。それが
「自分の居場所は作るべきなのか?探すべきなのか?え?どうすべき?」でした。
今回はこれについて少し綴りたいと思います。
自分自身のことと交えながら(手記)になりますので、皆様はうまく自分用に変換して読んでいただけると幸いです。
●幼少期(小学生)
親の離婚、というかいつの間にか父親がいなくなっていた。小学校の低学年だった記憶だけ残る。いつの間にかアルバムから父親が映っている写真は無くなっていた。今も何となくだが眼鏡をかけていたことと、短髪だった記憶が微かに残っている。そしてなぜか父親の家が経営する飲食店の2階に母と妹と僕の3人で住んでいた。表玄関はなく、店の入り口から店内を通って2階の住居へ。僕はこれが大嫌いだった。なので友達を家に呼ぶこともほぼせず。そして僕は店が始まる夕方17:30以降は表に出なかった。この頃は夕食は17:00(店の都合)で店内の座敷で祖父、祖母、母、妹、僕の5人で食べる。結構な頻度で常連客がこの夕食中に店に入ってきてカウンターに早々と腰掛け自分で冷蔵ケースからビールを持ち出しビールなどを飲み始める。もちろん一声(ひとこえ)掛けてだが。常連だしお客様だからか、祖父、祖母、母は了承。妹は外顔が良いというか、うまくやっていた。僕はこれが嫌だっった。食事が一気に辛い時間に変わる。
僕はこれが一番嫌いだったかもしれない。
そして早くこの家から出たい!強く思ったのもこの頃だった。
ただ、所詮小学生です。何となく過ごせていた。
おそらく小学4年生から入った吹奏楽部の活動にかなり救われていたと思う。吹奏楽部での思い出はまた別の機会で・・・
●中学生時代
ちょっとだけ悪い感じだったかも。でもとにかく無難に。そんな感じだった。基本の生活は小学校の時とかわらず。ただ、中学3年から始めた「中国武術」のおかげでどんどん気持ちや心は外に向かっていく
●高校生時代
名古屋市立の高校へ進学。自動車科に入り自動車整備士を目指すことに。
とにかく「ただ家を出たかった」。
そして中国武術に没頭する。
●就職
トヨタ自動車系列の自動車リース会社の整備士として入社。嘘みたいな話だが「高卒組の新入社員代表」として社長から社員証を入社式でスーツにつけてもらう役。要するに僕は自分の評価を見誤っていた。僕はその会社が嫌いではなかったが、あの時の僕の学力や評価を考えれば、もっと上のランクの会社に入れていたんだと思う。しかし、僕は「中国武術」がしたいから、それが叶う時間でのお仕事!それが優先順位第一!で決めた会社。全く問題はなかったし、夏が過ぎるまでは仕事と武術の両立ができていた。
が、いきなり夏に東京への移動。そしてかなりお給料も上がる。正直「俺ってすごくない?」こんなこと思った。まだ未成年だった(この頃は20歳が成人)ので会社の部長と課長が移動に対する説明をわざわざ実家まで・・・。
勘違いしますよね!僕も、親も。だって嬉しくないわけないっしょ。「認められてる」ってことですもの。
ただ「中国武術ファースト」はこの時点でどこか頭の隅に・・・
そして東京に!あさ5時起き?6時には顧客のもとへ。18時頃会社に戻り書類提出。20時頃帰宅。この繰り返し。
仕事は楽しかったです。でもどんどん湧き上がってきます。
「中国武術」への思い。
今思えば、仕事は順風満帆でした。でもそれは違うと思っていたんだろう。
今思うと、仕事は何でも良いのです。自分が自分らしく生きられれば。それが一番大事。
●離職し名古屋へ戻る
結局色々思うところあり入社し1年で自主退社しました。ボーナスって何?っていう感じでしたね。
ボーナスに関しては今も同じくです。折角家を出たのに出戻りです。でもここから色々始まります。
さて、このまま続けると僕の歴史ブロになってしまいそうなので、本題に戻ります。というか前置き長いわ!
幼少期、家はありました。寝る場所も、食事もありました。母のことも妹のことも嫌いではないし、でも家族?っていう感じ?スタンダードな考え方で親子は刷り込まれていたし、なにか血のつながりも意識していたけど、ちょっと違和感はありました。なので僕は自分の世界に逃避しました。これは自分の居場所を妄想しそこに逃げ込んでいたんだと思います。まあ、小学生ですから、いきなり「旅」っていうのもね。でも今思えばできたんじゃないかなって。
中学に入り「中国武術」に出会い、そこへ!自分の居場所を見つけた!そんな感じ。自分の居場所を探して、そこに通うようになり、中国武術は心の拠り所にもなった。妄想でも、創造でもなく、リアルにあるものと出会う。
就職し、会社からの一定の評価もいただけ舞い上がっていた。が、仕事にも満足はできていて(あ!今思うと先輩とはうまくやれていなかった。結構パワハラだった。今となってはどっちでもいいけど。そしてどの業界もバブルだったし、ちゃんと就職して仕事するのが当たり前!常識みたいな)でも中国武術ができない自分が辛くなっていた。どんどん心が枯渇していく。その頃の僕にとって東京は自分の居場所じゃなかった。
帰郷し色々スタート
今に至る
今はこんな感じです。
住む場所はどこでもいい
自分が自分らしくいられる場所という概念は土地ではない
じゃあ何?
僕は心のありようだと思います。
今はそう思います!です。
「自分の居場所は作るべき?探すべき?」
自分でつけたタイトルですし、僕の生きるテーマとしても近いタイトルですが、
何だか「自分の居場所は創る」ものかと
一人で作らなくても良いかな?
誰か仲間と創れたら良いかな?
そんな仲間を家族って言えたら良いかな?
そんな風に感じています。
あなたは
「自分の居場所は作るべき?探すべき?」
どうですか?
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