バセドウ氏病 と 化学物質過敏症 を選んだ理由

私が『化学物質過敏症』という状態をみずから選んでなっている、として。

いまふと思い出したというか、まぁ、これじゃないのかな?という思い出。

※ ※ ※

私は
『 ①周りの【大人が数人】集まって、私の目の前、近くでなにかを話し合いなにかを合議している。その声がこちらまでありありと聞こえているが、全容までは分からない。
②そして彼らが決めたことを、私に説明せずに実行される、しかも私の目の前の場所で 』

という状況が、ものすごく苦手なのだと、
苦手というか実は、『耐え難い』苦痛。みたい。
ついこの間まで。いや今でも?


そのことに、ハッキリと気付いたタイミングは、

昔、都内の分譲マンション賃貸、に住んでからすぐに、猛烈に感じていました。
(オーナーから借りている賃貸。周りの部屋の人は持ち家だったり、同じく賃貸だったり色々)

多少なりとも、同じような不安感、 分かる人はいるとは思いますが(何を話しているんだろう?何が起こるんだろう?と、じろじろ見るとかね)、まぁ賃貸なら『自分は賃貸だから、関係ないし』と割り切って見れる人が殆どなのでしょうきっと。


私は末っ子で、上の兄弟は10以上離れていて早くから仕事をしていたため、私から見ると家族、家の中には自分以外全員大人で、4人いる、という感覚でした。

兄弟は自分と横並びわりと対等、の存在ではなく、そして母がうえの兄弟の収入なりなんなり、を頼りにしていたこともあって、兄弟は、なんらかの権力を持った大人、という存在な訳です。大きすぎるんですね、上の兄弟の権力が。
(兄弟にしてみたらむしろ、負担、ということになり、そこまで慮る余裕はないものの、その気配も、うっすらと感じない訳ではありません)

私は、母と兄弟、または兄弟が話し合って決めたこと、が(父がそこに絡んでいた記憶があまり無い)、私への説明や私の承認なしに決まり物事が進んでいく、どうせ私は小さいので説明する必要なかろう、という空気を、何度も味わったような気がします。

それで物事が、私にとっても家族にとっても良い具合、に進んでいればまだ良いのでしょうが、そりゃ当然というか、私(や、家族)にとって好ましくない事態になることもありました。

いつ頃か、私に物事を的確に判断する能力が育ち、場合によっては兄弟や親を軽く超えるケースも出てきました。

そのあたりのことを、両親は私のその成長?を、割と認めてたと思うんですけど、
兄弟が、なんとなく面白くない、自分たちの感情を処理しきれない、という隠れたモヤモヤがある事件で爆発する、なんてこともあったみたい。かなり大人になってからの、中間子の兄弟の爆発、とか。
(みなしごハッチ第1話。ハッチが大勢の義理の兄弟であるシマコハナバチの子供たちにいじめられるシーンを思い出しちゃった。ハッチだけはスズメバチだからね)

私はまず、両親がなくなってからは、
※甲状腺機能亢進症(バセドウ病)になり、
(※この時、一時的になんと兄弟全員揃って実家に住むことになった数ヶ月位)
それから※化学物質過敏症になって、
(※都内の分譲マンションに住んでジワジワと、威張った年寄りの住人に猛烈な怒りを感じたりなんだりして数年後に)。


昨年、
生い立ちみたいな心理的な部分をちょこっと紐解く治療の、ほんのさわりの部分を受けたりなんだりしたら、色々気づけたみたいで、
バセドウ病は、とりあえず寛解しました。

まぁ、みっともないしさ(笑)。
そういう想いをいつまでも抱えて消化不良でい続けるのってね。いい歳して。
寛解したら、尚更、そう思うようになりました。


とりあえずここまで、一気に書いた。
こんなこと書いてる場合じゃないんだけど、今、なら書けるなーと思って。メモ書き。
(あとからじゃめんどくせぇし笑)



#甲状腺機能亢進症
#バセドウ病
#化学物質過敏症


【再読】
読み返すとまぁ、偏りがあるのがわかりやすい
けどこのまま晒しときますとりあえず




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はるまき
はるまき、おやつ食べたら、また書くにゃ✨感謝の念をいっぱい送りますにゃ😻💐ありがとにゃ