日本人の法意識の背景と現在の課題
現在の日本の法制度は、明治時代に欧州から輸入されたものだ。
憲法に至っては、第二次世界大戦後、GHQによって起草された。
明治時代に欧米的な法制度の整備を急いだのは不平等条約の改正が目的だった。
つまり、近代的な法制度の導入は不平等条約の改正のための手段であり、極論を言ってしまえば鹿鳴館でダンスを踊るのと同じ位置づけに過ぎなかった。
たかだか明治時代に輸入された現在の法制度の前には、日本独特の規範があったはずだ。
それが共同体を維持するための「白黒付けない」曖昧なものだった。
なぜ、白黒付けると共同体が維持できないかというと、農村共同体には構成員が協力して行わなければならない作業が多々あり、勝ち負けがはっきりするとお互い気まずい思いをするからだろう。
ある意味、勝ち負けをはっきりさせずできるだけ平和裡に解決しようとするのが、日本人の規範だったと言える。
井沢元彦氏が書いているように、聖徳太子の十七条の憲法の第一条は「和を以て貴しとする」だ。
第二条に仏教信仰が置かれていることを考えると、仏教信仰よりも「和」の方が重要だったと考えられる。
ユダヤ教やキリスト教を信仰している民族では、(近代以前に)信仰に優先する規範があったというのは理解しがたいのではないだろうか?
大国主命が天照大神に対して行った「国譲り」も、実際は強奪だったものを平和裡に譲ったと記載したというのが井沢氏の考えだ。
その結果生まれたのが大和朝廷。
読んで字のごとく、大きな「和」の朝廷だ。
このように、日本では伝統的に「和」の精神が極めて重要な規範だったと考えられる。
重複するが、その目的は農村共同体の維持だ。
その証左に、漁村では訴訟沙汰が頻発している。
漁業は、それぞれの家が船を持って自力で漁をするので共同作業が農業よりも少ない。
私自身、かつて漁業関係者の訴訟を何件か受けたことがある。
現代でも、農村共同体意識が多くの所に残っている。
その最たる例が会社だ。
「タテ社会の人間関係」(中根千枝著)によると、欧米人に「あなたの仕事は何ですか?」と訊ねると「私はカメラマンをしている」と答えるのに対し、日本人は「○○テレビの社員です」と答えると書かれている。
日本人的回答は世界的に希なものだそうで、それだけ会社共同体の絆が強いものと推測される。
「ウチの会社」という表現が頻繁に用いられるが、これは共同体の「ウチ」と「ソト」を区別する意味がある。
会社共同体では従業員が家族であり、労働組合も会社別になっている。
「タテ社会の人間関係」によると、このような共同体にはインフォーマルな社会規範が存在すると書かれている。
役職の上下ではなく、共同体に先に入った者が偉くて新入りは下っ端だ。
昔の大蔵省が行っていた20代で地方の税務署長にする制度は、あきらかにインフォーマルな社会規範に反するもので、署長は単なる「お飾り」だったそうだ。
ママ友の間でも、先輩が一番偉くて新入りが下っ端になると聞いている。
会社共同体の絆が強くなると、構成員の優先順位は共同体の中で出世することになる。
先輩優先というインフォーマルな社会規範は年功序列に結びつく。
年功序列という規範の中で出世することが構成員である会社員の目標になってしまう。
トップである社長の座に就くのは実力者ではなく、派閥の力関係を上手く調整する能力を持った人だそうだ。
しかし、各派閥を調整するためには、トップに立つまでに様々なしがらみができる。
改革を断行して、「借り」のある人を裏切ることができない。
現状維持が是とされ、改革がすすまないことも多々ある。
外国人経営者が入ってきて突然改革が加速するのは、外国人経営者にはしがらみがないからだ。
高度経済成長時代やオイルショックの時代には、会社共同体が非常によく機能した。
しかし、今では会社共同体が変化のスピードに付いていけなくなっている。
外部からどんどん人材を入れて風通しをよくする必要に迫られている。
そのためには、厳格すぎる解雇規制を緩和・撤廃するしかないと私は考えているが、いかがな者だろう?