総理秘書官のいわゆる「差別発言」が問題となっていますが、その直前までサイバー大学の優秀な学生諸氏との任意ディベートで同様の問題を取り上げていました。 以下は、事件(?)後の私の書き込みです。 著作権は私にあるし、公共の利益に関する問題なので、そのまま公開します。 「好き嫌い」と「差別」を同視したまま思考停止に陥っているマスコミ諸氏があまりにも多すぎて、このまま幕引きがなされようとしていることに危機感を抱きました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 別件ですが、総理秘書官
ファブレス企業というのをご存じだろうか? 工場のような生産設備を自社が持たない企業のことを指す。 典型例がアップルで、世界中の企業がアップルの製品の部品を製造している。 これが可能になったのは、IT技術の進歩だ。 IT技術の進歩によって国際的水平分業が可能になり、垂直的な下請けどころか自社工場すら持たない企業形態が出来上がった。 昨今、日本中を騒がせている強盗団はこれに似ている。 「生産設備を持たない」かのように「実行犯のいない」強盗団だ。 実行犯はSNSで集めているよ
犯罪とは「構成要件に該当する違法有責な行為」だと一般的に定義されている。 つまり、犯罪が成立するためには、3つの関所をクリアする必要がある。 第1の関所が「構成要件」、第2の関所が「違法性」、第3の関所が「有責性」であり、すべてをクリアしないと犯罪は成立しない。 事例から考えよう。 「Aが自分の恋人であったCを奪った憎き恋敵のBを殺そうとしているとする。Aとしては、BがいなければCとの恋愛関係が続いていずれは結婚できるはずだった。ところが、Bが現れたことによって自分の人生が
罪刑法定主義は刑法における最重概念と言っても過言ではない。 まず、ケースを考えてみよう。 「あなたの隣人がケーブルを使ってあなたの部屋の電気を引いて使っていたとする。 もちろんあなたに無断で、しかも隣人は赤の他人だ。 このような場合、窃盗罪は成立するだろうか?」 窃盗罪と言うのは刑法235条で規定されている。 「他人の財物を窃取した者は窃盗の罪都とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」 窃盗罪の構成要件は「他人の財物を窃取した」という行為のことだ。 構成要件と
日本国憲法の統治機構は、三権分立を採用している。 立法権は国会に、行政権は内閣に、そして司法権は裁判所に属するとしている。 三権分立が採用された目的は、強大な国家権力を一つに集中させると国民の権利が侵害される恐れが高くなり憲法の最高価値である「個人の尊重」が図られなくなるからだ。 絶対王政時代の国王のように、三権すべてを持っていれば、好き勝手に国民を逮捕し(行政権)、自分の好みで法律を定め(立法権)、処罰を下す(司法権)ができてしまう。 昔のドラマの大岡越前で登場する奉行
憲法には様々な人権規定がある。 これらの人権規定は太古から保障されていたものではなく、近代市民革命等を経て一般市民が勝ち取ったものだ。 絶対王政以前の時代には、ほとんどの人間には基本的人権が認められなかった。 ギリシャ、ローマ時代の奴隷や中世の農奴は「物」のように売買されたりした。 近代市民革命等を経て、一般人にも基本的人権が認められるようになった。 もっとも、女性参政権が認められなかったり、米国で奴隷制度が残ったり、基本的人権は一気に広く認められたのではない。 時代の
日本国憲法は日本の最高法規だ。 憲法98条は、「この憲法は国の最高法規であって、その条項に反する法律、命令、詔勅および国務に関するその他の行為の全部、または一部はその効力を有しない」と規定している。 つまり、国会でつくった法律や行政機関が発する政省令、さらには天皇の詔勅といえども憲法に反するものは(全部または一部の)効力を有しない。 およそ国家機関が行うことのすべてが憲法に反することができないというのが、憲法が最高法規だという意味だ。 最高法規があるのなら最低法規がある
中学受験も大学受験も試験日本番までわずかな日数になった。 受験生は是非とも「マトリクス計画表」を作成して、一日一日を充実したものにしていただきたい。 詳細は、拙著「すぐに結果を出せるすごい集中力」で書いた。 この計画表を作成すれば、大逆転も十分可能だ。 なぜなら、試験というものは直前が大切だからだ。 多くの人々が「一夜漬け」で期末試験などを乗り切った経験があるように、直前での学習はダイレクトに試験結果に反映される。 人間は必ず「プランニングの誤謬」に陥る。 将来の時間や
現代は、「供給過剰の時代」だ。 例えば、NetflixやAmazonプライムビデオのような動画配信サービスには一生かかっても観ることができない作品が並んでいる。 YouTubeの中も同じようなもので、新しいコンテンツがどんどん増えている。 このような「供給過剰の時代」に生きる私たちは果たして幸せなのだろうか? 別の拙著で紹介した「ジャムの実験」が一つのヒントになる。 5種類のジャム売り場と20種類のジャム売り場があり、どちらも好きなジャム2種類を同じ金額で選ぶことができ
一定の利益や権利を尊重すると損なわれる利益や権利を「対立利益」と言う。 例えば、殺人行為の対立利益は「人の生命」だし、窃盗行為の対立利益は「財物」だ。 刑法上は「保護法益」と言われる。 刑事罰では、対立利益の存在が疑わしいものがある。 典型的なものは、わいせつ物頒布罪だ。 わいせつ物頒布を禁止する目的を、「健全な性秩序」や「性道徳」「風俗」などの維持とするのが判例だが、これは大いに疑問だ。 なぜなら、「性秩序」や「性道徳」「風俗」などという概念は曖昧で、国家権力によって
法的三段論法の典型例は以下のようなものだ。 大前提 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する 小前提 AはBを殺した 結論 Aを死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する このように、法的三段論法の大前提は法律の条文だ。 法律の条文は「要件」と「効果」に分けることができる。 殺人罪の条文の「要件」は「人を殺した者」であり、「効果」は「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」となる。 アバウトに言ってしまえば、「要件」は自販機のボタンで「効果」は
以前読んだ本に「お金持ちはケチだ」という記述があった。 確かに、莫大な資産を持っている人と食事をしても、場所は普通の居酒屋で割り勘という経験を私自身何度もしている。 気前よく振る舞ってくれる相手もいたが、それは少数派だ。 私自身、美味しければ居酒屋でも構わないし割り勘の方が負い目を感じないので、特に意識をしていなかったが・・・。 ケチだからお金持ちになれたという例もある。 それほど高給を貰える訳でもない会社に勤めて外食等を一切せず、生活を切り詰めた人が亡くなった時、莫大
最近、LINEで「既読スルーにして○○時間経過した」と言って文句を言われたことがある。 以前にも何度かあったことだが・・・。 LINEで「既読」となるとすぐに返信しないと不誠実だと思っている人が多いらしい。 しかし、すぐに返信する必要があるのだろうか? デールカーネギーの著書によると、元米国大統領だったリンカーンは南北戦争の将軍への怒りの手紙を書いたものの、投函することはなかったそうだ。 デールカーネギーの解釈はこうだ。 「あの時、南軍を攻撃していたら誰でも南北戦争を終
論理学の条件構造文は、「AはBだ」「AならばBだ」という形で表される。 具体的には、「ペンギンは鳥だ」「ペンギンなら鳥だ」というふうになる。この場合、「ペンギン」が条件で「鳥」が結論になる。 「ペンギンは鳥だ」の「は」は、三段論法で説明したように「完全に含まれる」という意味に書き換えることができる。 条件構造文の「逆」は、条件と結論を入れ替えた文章だ。 「ペンギンは鳥だ」の「逆」は「鳥はペンギンだ」になる。 これは真か? 「は」を「完全に含まれる」と書き換えると真では
三段論法は、論理学における論理的推論の形式のひとつだ。 典型的には、大前提、小前提、結論という3個の命題を取り扱う。 三段論法の典型例は、以下のようなものだ。 (大前提)人間は死ぬ (小前提)ソクラテスは人間だ (結論)よって、ソクラテスは死ぬ 大前提と小前提の「は」は、完全なイコールではない。 「は」を「完全に含まれる」と書き換えると理解が容易になる。 大前提の「死ぬ」を「死ぬ存在」と書き換えると、大前提は「人間は死ぬ存在に完全に含まれる」と書き換えることができる。
現在の日本の法制度は、明治時代に欧州から輸入されたものだ。 憲法に至っては、第二次世界大戦後、GHQによって起草された。 明治時代に欧米的な法制度の整備を急いだのは不平等条約の改正が目的だった。 つまり、近代的な法制度の導入は不平等条約の改正のための手段であり、極論を言ってしまえば鹿鳴館でダンスを踊るのと同じ位置づけに過ぎなかった。 たかだか明治時代に輸入された現在の法制度の前には、日本独特の規範があったはずだ。 それが共同体を維持するための「白黒付けない」曖昧なものだ