![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/173622994/rectangle_large_type_2_689224348b3886f9cb94c43b3465d40e.jpeg?width=1200)
【連載小説】アウトボールを追いかけて 第4話 「アウトボールを追いかけて」 #1
サッと、ほんの一瞬だった。
堅く閉じた瞼の裏側をオレンジ色の光らしきものが浮かび上がった。それは一度だけだったが、少しの間チカチカした残像がこびり付いていた。
怖さと緊張のため、息をするのもはばかれたが、ひとまずは状況が落ち着くまでじっと動かずにいるしかなかった。
二、三分前、乾いた靴音がすぐそばを通り過ぎたときには心臓が止まるかと思った。
うずくまった身体の両側にある冷たい塊からは砂埃っぽい臭いがしていて、それは晃二に小学校の体育準備室の石灰箱を思い起こさせた。
これが誰かの悪戯で、体育準備室に閉じこめられたならばまだ良かったが、そうではなかった。
初めは耳を覆っていた手のひらを通して自分の脈打つ鼓動音しか聴こえていなかったが、しばらくすると、辺りで何人かの声が小さく聞こえた。注意して聞くと、それは日本語と英語が混ざっているようだった。
今はだいたい何時なんだろう。不安になるが、時計がないのと、辺りに日があまり射し込まないのとで、大体の時間を推測するしかない。
この部屋に忍び込んでから、かれこれ一時間は経っているはずだ。となると、もう四時を回っているだろう。
事態を把握するため、晃二はようやく片目を開けた。
すると、さっきの光が消防隊の懐中電灯の明かりで、両側にある冷たい塊がセメント袋だというのが解ったが、自分たちに何が起こったのかは一向に解らなかった。ちょっと前の行動が思い出せず、何か別の事件にでも巻き込まれたのでは、とも考えていた。
晃二は、ここに忍び込んでからのことを順序立てて思い出していった。
確か、忍び込んで初めのうちは、みんなまとまっていたはずだったよなぁ。
それで、荒ケンが一番最初にお宝を見つけたんだっけ。
それから、みんな我先にとバラバラに行動しはじめて、俺も奥へ入って行ったんだ。
そしてしばらく砂の中のお宝を探し出すのに熱中していた……。
そこまでは思い出すのだが、それから先はあまり覚えがない。
急に辺りが騒がしくなり、気が付いたときには周りの仲間はみな姿を消していた。そして、黄色い防護服のようなものを着た人たちが駆け込むのと同時に、目の前の小さな隙間に無理矢理身体をねじ込んだのだった。
一度も「逃げろ」という声を聞かなかったから、きっと先に気付いた連中は、俺に知らせずに逃げたに違いない。恐らく知らせる余裕がないほど急だったのだろう。
だが、晃二には自分一人が見捨てられたように思えてきて、だんだん心細さよりも怒りの方がこみ上げてきた。理由がどうであれ納得できなかった。そんな風に状況が見えてきたら、変な体勢をしている両足と右肩の痺れがジワジワと襲ってきた。
ー ちぇっ、初めっから計画が良くなかったのか ー
未だ入ったことのない、砦の一室に忍び込んでお宝を探し出す、という今回の計画は、今までになく慎重に進めてきたつもりだった。ところがこのザマである。
とんだ厄介ごとになっちまったな。晃二は今更ながら後悔した。
話の発端は一昨日、5時間目の社会科の授業中であった。
コークスのストーブで教室全体がほどよく暖まった午後。激しい睡魔と戦っていた晃二の背中越しに、後ろの席から丸めた紙屑が投げ込まれた。
「…ったく。かったりーなぁ」
眠気の方が勝り、意に介さない晃二を急かすように、ウメッチが背中を鉛筆でつついてきた。仕方なしに紙屑を開くと、そこには殴り書きで「お宝発見」とだけ書かれていた。この唐突で意味不明な手紙に返事を書くのが億劫だったので、振り返り、小声で尋ねた。
「今度は何だよ?」
「へへっ、後で説明するよ」
「後で説明すんなら最初から手紙なんか出すなよ」
愚痴を言いつつも、出し惜しみされると却って気になってしまうものである。すぐにでも内容が知りたくなったが、先生がこっちを向きっぱなしなので諦めた。
「じらしやがって、あったまくんなぁ」
椅子の背もたれに反り返って晃二はぼやいた。
こちらの反応をウメッチも予測して、わざとこう書いてきたのである。
仕方なく何となく自分たちにとって価値のありそうな物を想像してみた。
その頃、仲間の間で関心があった物と言えば限られていた。スナック菓子に付いてくるヒーロー物や怪獣物のカードからはもう卒業していたし、勝負して奪い取ったメンコやベーゴマに関しても、相手が特に大切にしていた物しか興味がなかった。それ以外では、流行りすたりがあって、先月スパイ手帳が流行ったかと思うと、今月は月刊購読誌「科学と学習」の付録に代わっている、などしょっちゅうである。
じらされた晃二は、考えを巡らせるべきか、無視してやり過ごすか迷っていた。
結局、授業に飽きていたので、残された時間にいくつかの可能性を考えることにした。
「あいつの言うお宝だろ。どうせ大したもんじゃねぇな。貰ってきたエッチな本じゃないだろうし、米屋の裏から拾ってきたプラッシーの景品でもねぇかな」
黒板の文字の中にヒントでもあるかのように前を凝視し、独り言をつぶやいていた。しかしこれらは、ウメッチがお宝と呼んで以前に見せてくれた物ばかりである。
三学期が始まって一ヶ月半。残り少ない小学校生活のほとんど毎日を一緒に過ごしていたウメッチが、いつどこでそんな物を見つけてきたのか、そっちの方が気になっているうちにチャイムが鳴ってしまった。
さほど関心もなさそうに教科書をしまいながら、晃二はゆっくり振り返った。
「で、何だよそのお宝っ…」
「しっ!」人差し指で口を塞ぐ、大げさなアクションもいつもと同じである。
「今度のは本当にすごいぜ」
「この前の女もんのパンツよりか?」
声を潜めてしゃべるウメッチを、晃二はからかった。
「ホント、ホント! でもちょっとここじゃ話せねぇな」
さすがにいつもより熱のこもった喋り方なので段々と気になってきた。
「じゃあ便所でも行くか」
便所と言っても、いつも向かうのは、便所の先の非常階段である。六時間目の図工までは七分程しかない。早くお宝の正体を知りたい晃二は、教室を出ると自然と早歩きになった。
あとから追いついたウメッチの肘を引っ張り、非常階段の扉に二人は隠れる。
「何だよ、早く言えよ」
とうとう堪えきれなくなって、晃二はせっついた。
「オヤジがな、昨日酔っぱらってしゃべってたんだけど……」
「だからなんなんだよ!」
晃二はウメッチのもったいぶる話し方が時々勘にさわった。
「だからさぁ、本物の拳銃の弾があるんだって!」
けんじゅーのたま? 晃二は喉が詰まったようになり、首を前に出す。実感がわかないのと、想像だにしなかった答えなのとで、どう対応していいものか分からなかった。
「だから、28口径とか44口径とか……本物のピストルの弾だって」
「……なんちゃって、じゃねぇだろうな」
「まじだって!」ウメッチの顔は真剣だった。
「どこにあんだよ……。まさかお前、MPの拳銃盗ったのか?」
実際に、ウメッチの父親はベースキャンプ内のMPだったので、早まったウメッチが父親の拳銃を盗んできたと、晃二の方こそ早まって想像してしまったのだった。
「そうじゃなくて、いっぱい落ちているとこを知ってるんだよ」
やっと話の流れが見えてきた晃二は、納得すると同時にわくわくしてきた。
「ほんとかよ、それってどこよ」
身を前に乗り出したついでに校庭の時計を見る。あと三分しか時間がない。
「オヤジの話じゃ、観覧席の中に射撃訓練してたとこがあったんだってさ」
「まじかよ、大事件じゃん。でも、砦の中にそんなとこあったけ?」
「きっとあそこじゃない?」
「あそこって、……まさか、開かずの門の中か」
そう言うと、晃二はもう一度首を伸ばして時計を見た。
「やべっ、早く戻んないと」
午前中、三時間目のチャイムに遅れて怒られていた二人は急いで走って戻った。
「ほんとにあの部屋かぁ?」
「だってよー、あの部屋だけはまだ誰も入ったことがないじゃん」
興奮していたので、職員室の前でスピードを緩めるのを忘れていた。
「誰だぁ、廊下を走っているのは」磨りガラスの向こうで先生の声がした。
二人は顔を見合わせて笑うと、スピードを落とし、早歩きしながら計画を練った。
「作戦会議をしよう。まず、メンバー選びだ。でも、まだみんなには秘密だぞ」
六時間目のチャイムが鳴り終わる直前に、二人は教室に駆け込んだ。
─ ちゃんと計画したはずだったのに、何でこんなことになったんだ ─
これまでの状況を少しずつ思い出していると段々と目が慣れてきた。と同時に、いま自分が置かれている状況が最悪であることも理解できた。
そんな不安に襲われながらも辺りを見回していた晃二が薄暗い視界の先に見つけたのは、一個の色褪せたボールだった。
なんでこんなとこに…。
不思議だった。普段、アウトボールが入る広い部屋と違い、この部屋はファールゾーンの一番端に位置しているのだ。
アウトボールがこんな所にもあるのか。晃二は心の中で呟くと、自分の置かれた状況も同様で、何かの手違いで迷い込んでしまっただけだろうと少し安心できた。
しかし、何故MPと消防隊が来たのかは依然として謎である。解ったのは、このままでは捕まるか閉じこめられるかのどちらかだ、ということだけだ。夕方で気温が下がったためもあるだろうが、急に身体に触れているあらゆるモノから冷たさが伝わる。
何でばれたんだ。捕まった奴はいないのか。色々と疑問が沸き上がってくるが、それは後まわしにして、今は状況を少しでも改善するのが先決だった。
取りあえず、周りに気を配りながら、セメント袋の間から四つん這いで出た。
改めて辺りを見回すと、心なしか紗がかかっている。窓から差し込む淡い光の中、そのくすんだ空気の層は、上下左右にうねりながら窓の向こうに吸い込まれていった。まるで先週見た、ギャング映画のワンシーンにでも入り込んでしまったかのようだった。
兄貴と一緒に見たテレビ映画の、確かクライマックスだったと思う。主人公がマフィアとの取り引きに失敗し、椅子に縛られたまま倉庫に火をつけられてしまうのだった。主人公は、何とか隠し持っていたナイフでロープを切り、危機一髪で逃げ出したのだが、その部屋の様子と、自分が置かれた状況とが重なって思えた。
煙か……。
映画のシーンと現実との間で、一瞬何かが脳裏をよぎった。
そうか! わかった。声を上げそうになった晃二は、下唇を噛みながら頷いた。
煙だ。そうに違いない。
今回の宝探しに参加したのは全員で八名だが、当初の計画では五人だけのはずだった。それが、ウメッチが口を滑らせたせいで計画が漏れ、八人に増えてしまったのである。
まず、一昨日の放課後、計画するに当たってメンバーを絞った。いつもの晃二、ウメッチ、荒ケンの三人の他に、今回は信頼できる仲間としてシローと秀夫という精鋭部隊を組んだのだった。
モノが厄介な拳銃の弾だと言うことと、絶対に失敗は許されないことから慎重に選んだメンバーだった。だが、ウメッチの普段と違う態度にモレが気付き、そこから口を滑らせてブースケと岸田にばれたのである。
ただ、それが当日の昼休みだったので打つ手が無く、計画の邪魔にならないよう行動することを条件に参加を認めたのであった。
今回は、綿密な計画もさることながら、限られた時間内に弾を探し出す能力と、緊急時にはすぐに脱出できる機敏さが大切だった。MPの巡回時間はだいたい分かっていたから、あとは抜かりなく、緊張感を保って事を運ぶよう五人は肝に銘じていた。その意識が急遽参加することになった三人には上手く伝わらなかったのだろう。初めからモレとブースケははしゃいでいるので、晃二には少し鬱陶しかった。
それと、もう一つの誤算は、砦に潜入する際、偶然ウィリーと出会したことである。砦の裏で彼がタバコを吸っていたところに偶然鉢合わせてしまったのだ。しかも目撃されただけでなく、後から勝手に入ってきてしまったようなのである。
何に興味を持ったのか分からぬが、自分たちの目的とは違うことは明白で、物珍しそうに部屋を見渡している彼を気にしないようにして行動することにしたのだった。
そう言った理由で、中に入ってからもぎくしゃくした雰囲気を引きずっていた。
きっとあの辺りから、状況が悪い方へと逸れ始めていったのだろう。
〈#2へ続く〉