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【連載小説】アウトボールを追いかけて 第3話 「ハロウインを待ちわびて」 #5

 11月に入り時折木枯らしが吹くようになってきた。
気がつくと校門横の銀杏いちょうの木も、砦の崖上の原っぱも、ハウスの基地周辺の森も、それぞれがそれぞれの色や姿を変えつつあった。
季節はそうやってそっと忍び寄っては、皆に気が付かれないように毎日少しずつ景色に細工を加えているのだ。
真冬でも半ズボンで過ごしていた晃二たちでさえも、足の間を音を立てるように木枯らしが吹き抜けると、さすがに身体を縮ませていた。
ハロウィンの事件以来、予想通りジミーたちとの間に漂う険悪な空気が日増しに大きくなり、燻り続けているわだかまりと不満が爆発寸前であった。
ただ、夏に起きた基地襲撃の犯人は彼らでないらしく、代わりに浮上してきた噂が、ウイリー犯人説である。
自分たちは信じなかったが、この事件のあらましを聞いた隣のクラスのヤツらが証拠もないのに耳打ちしてきた。
やはりと言うか安直と言うか、見てもないくせに最もらしい仮説を立ててひと時の納得を得ると言うのはいかがなものかと思う。
ここのところいろいろと事件が絡み合い、複雑な心境になる日が多かった。
偶然見てしまったウィリーの秘密。
それも行き場のない懸案となって晃二の胸に引っ掛かっている。
開けてどうなるわけでもないのかもしれないが、開封を禁じられた手紙を目の前にしたかのようであった。
自然とベース内を訪れる回数も減り、再び砦を中心とした行動半径に戻りつつあった。
いま思えば、夏の終わりから秋が深まる一歩手前まで、ボビーやダンたちとたわむれていた時期が一番安らいでいたのかもしれない。
楽しい時間はそうそう続くものではないのだろうか?
晃二たちは、日が短くなっていくのと呼応するように行動力が鈍ってきていた。

 そんな、ある日の午後のこと。晃二とモレは、駄菓子屋の裏に積んであったジュースの空き瓶に、小便をひっかけている白人の二人組を見つけた。
あまりにもえげつないので、見とがめて注意していたところに、ジミーの仲間が偶然通りかかったのだ。
彼らは因縁でもつけていると思ったのか、間に入って二人を引き離した。
「なんだお前ら。悪いのはそっちの方だぞ」
と言っても日本語が解らないのだ、伝わるわけない。
「あのな、俺たちはただ注意してただけじゃねぇか」
モレは事情を話すが、相手は顔をしかめるだけである。
向こうも何か言い返したが、こっちも解らないのだ、埒があかない。
原因となった二人は、どのようにこの状況を彼らに説明したのだろうか?
きっと誤解されたに違いない。捨てぜりふのような一言を残して、彼らは足早に去っていったのだった。

 数日後、その些細な出来事が引き金となり、日米間の抗争がとうとう勃発した。
あの日以降、お互いのテリトリー内で出会すといがみ合いが始まり、ひどいときには、制裁という形で手が出されるようになっていったのである。
やられたらやり返す、の鉄則に従い、こちらもだんだん過激になっていく。
ヤツらは、人数的に優位だと力を誇示するために囲い込んで脅しをかけてくるようになり、やがては無差別に奇襲するという汚い戦法で下の学年にもちょっかいを出すようになっていった。
また、初めは少人数だったはずが、終いには十人近く集まるという大騒動に発展することもあった。
時に、ヤツらはでっかい黒人を連れてくることもあり、さほど年は変わらないのだろうがアメリカ人は成長が早く身体もいいので、それだけでみんなびびってしまうのである。
お互いいきなり暴力を振るうことはなかったが、一線を超える日は近いのではと思われた。
そうなってくると、日米とも勢力を増大し、気の荒い連中は武器を隠し持つようになったのである。
ただ脅すだけで特に危害を加えはしないが、物騒な会話も耳にするようになっていった。
一度、近所の団地の裏で総勢二十人がにらみ合ったときは、酒屋の配達で偶然通りがかった友達の兄貴が、その場の空気を察して一喝したために難を逃れたものの、一歩違えば取っ組み合いになってもおかしくない状況であった。
そして、武器に関しても歴然とした差があった。
それは特に、持っていたナイフである。
ヤツらはナイフをちらつかせながら近づいて来るのだが、そのとき握っているナイフが全然違うのだ。
晃二たち日本軍の持っていたのは、工作の授業や鉛筆を削る時に使うボンナイフという、一個十円のぺらぺらしたモノだった。
しかし彼ら米軍のモノは、飛びだしナイフだったり、刃渡り15cmもある代物だったのである。
さすがに、怪我をさせたら大事件だから斬りつけることはなかったが、これじゃ日本が戦争に負けるのも頷けるな、と思ったものだった。
実は晃二にはその鋭い切っ先を目の前に突きつけられた苦い経験があり、その顛末てんまつにも複雑な想いが絡んでいた。

 初秋の頃、放課後に罰則でうさぎ小屋の掃除をさせられた後。
校門を出るといつの間にか空一面に鉛色の雲が垂れこめていた日だった。
傘を持っていない晃二たち三人が家路を急いでいたときである。
突然、団地の路地から意味不明な英語を叫びながら、大柄の白人二人が血相を変えて走って来るのが見えた。
初めは他の誰かを追いかけているのかと思ったが、振り返っても誰もいない。
状況も理由も分からないが、良くない展開が頭に浮かぶ。
多分待ち伏せしていたのだろう、我々を狙っての襲撃に思われた。
「やべっ。逃げるぞ!」
そう叫ぶと同時にダッシュしたウメッチに続いて、荒ケンと晃二も猛ダッシュした。
振り返ると、さらに加速して追いかけてくる。
体格の差から追いつかれるのは時間の問題に思えた。
「よし! 分かれよう」
荒ケンは言うが早いか、狭い横道に逃げ込んでいった。
「おまえ、ハァッ、どっち行く、ハァッ、あそこ、左に行けよ。オレ右に、行くから」
「やだよ、ハァッ、あの先、犬が、ハァッ、いるじゃん」
息を切らしながら振り返ると、二人とも荒ケンの方に行かず、こっちに来てしまった。
「なんだよ。仕方ねぇ、南京墓まで行くか、ハァッ」
「それまでに、ハァッ、追いつかれちゃうよ」
残された手は、何処かの家に逃げ込むか、中国人墓地で墓に紛れてくしかない。
そう考えていた二人の前に、無情にも工事中の看板が立ちはだかった。
「やべー、引き返すか」
しかし、一度立ち止まってしまったため、再び駆け出す余力はなかった。
「あっちゃー」
その場に屈み込んだ姿を見て、もう観念したと思ったのか、二人はゆっくりと近寄ってくる。
片方はニキビ面の小太りで、もう片方は髪がオールバックでノッポだった。
武器になるモノを探そうと辺りに目をやるが、めぼしい物は何一つない。
「ヘイ、ユー」
肩で息しながらも、余裕を持って近づく二人に見覚えはなかった。
もしかすると、この前に泣かしたチビの兄貴かなんかで、仕返しに来たのかもしれない。
力じゃ勝てないし、逃げるにも足が動かないしと、うらめしくにらみ返している目の前でキラッとナイフが光った。
鈍色にびいろの刃を、これ見よがしに動かすたび、不気味な輝きが角度を変えて目を射る。
少し前にもモレが同じような目に遭ったのだが、晃二はそのとき切られたモレのジャンパーの袖を思い出した。
「晃二、わかったぞコイツら。横須賀のハイスクールに通っているジミーの仲間の兄貴だ。一度見かけたことあるぜ」
「ほんとかよ、仕返しを人に頼むなんてきったねぇな」
見せしめだとしたら、脅しだけじゃすまないかもしれない。
嫌な予感で身体が強ばり、全身を逆流した血が駆けめぐるようだった。
ニキビ面の方が、何か喋りながらナイフを右手に持ち替えて近寄ってきた。
ガシッ。ナイフに視線を奪われていたところで、膝に蹴りを入れられた。
そのままバランスを崩して、うずくまったところでフックが脇腹に決まる。
くっそぉ… 。
歯を食いしばって見上げると、ヤツはニヤニヤ笑っていやがる。
すぐ横ではウメッチがオールバックに羽交はがい締めされてもがいていた。
目の前の二人はもちろん、卑怯な手を使ったジミーたちにも、怒りが込み上げてきた。
しかし、為すすべはなかった。
なんとか反撃に転じて、逃がれるチャンスを見つけるしかない。
「気を逸らすから、速攻で逃げるぞ」
小さくそう言って晃二は上体を起こし、隙を見て相手の急所を蹴り上げた。
上手く入らなかったが、効果はあったようだ。
そいつが股間を押さえたところで、ヘッドロックしていたオールバックに体当たりする。
「よし、いまだ!」
そう叫んだ瞬間。ナイフが振りかざされ、晃二のシャツをかすめた。
晃二は息を呑み、一瞬全員の動きが止まった。
スッと冷たい汗がこめかみを伝わったが、どこにも痛みはない。
どうやら大丈夫なようだ。
安心したのも束の間。早口の英語でがなり立てながら、今度は胸ぐらを掴んできた。
もうだめか… 。
晃二は観念したが、途中でヤツらの動きが止まった。
どうしたのだろう? 
ヤツらの視線が自分ではなく、少し上の方を向いている。
不思議に思って振り向くと同時に吸いかけのタバコが投げ込まれた。
「ビートイット(失せろ)」
ドスの効いた低い声とともに南京墓地の崖をゆっくりウィリーが降りてきた。
白人たちは戸惑いを見せ、掴んでいた手を離した。
しかめた顔を見合わせて、何か呟く。
内容は分からないが、弱気な声とそれを叱咤しったする声でのやり取りがあった後、ナイフをポケットに隠した。
状況によっては、今度はその刃先が自分たちに向けられるかもしれないと思ったのかもしれない。
彼らは取るべき行動を逡巡しゅんじゅんしているようだったが、ウィリーが石垣を飛び降りようとするのを見ると、慌てて逃げ出したのである。
二人は突然力が抜けてその場にへたり込んだ。
「助かったぁ…… 」
地面に体育座りしたまま顔を上げて、自分の吐いた息でも見ているかのように虚空こくうを眺めた。
混乱していた頭の中が収まってくるに従い、ナイフの恐怖がよみがえってくる。
しかし、何はともあれ、お礼くらい言わねばと腰を上げたとき。
「お前ら、大勢じゃないと何もできねぇのかよ」
そう吐き捨てるように言って、ウィリーは苦笑した。
ムッとしたが、何と言われようと彼のおかげで助かったのである。
近寄りながらお礼を言っても何の返答もなかった。
そして何事もなかったかのように振り向くと、サクサクと枯葉を踏み締める音だけを残して崖を上って行った。
普段と変わらぬ態度であったが、今日に関しては不快に思わず、二人はいつもの革ジャンが木々の向こうに隠れるまでその後ろ姿を目で追っていた。
昨年から、同じ黒人とのハーフのプロボクサーであるカシアス内藤に憧れて、ジム通いを始めた話をヤツらも聞いていたのかもしれない。
だから、接近戦になる前に退散したのだろう。
ファイティングポーズを取ることもなく、何もしていないが、噂通りの存在感と威圧感を目の当たりにした瞬間だった。
もちろん、本人は別に助けたくて助けた訳じゃないだろうが。
「ウィリーに借りができちゃったな」
安堵と困惑の入り交じった表情で顔を見合わせていたら枯れ枝の間から雨粒が落ちてきた。
夕暮れどき前の静寂さの中にタッタッと小さな音が聴こえ始め、少しずつリズムを早めてきた。
「とにかく、とっとと帰ろうぜ」
傘がないことを思い出し、二人は駆け足でその場を後にしたのだった。

 この事件はモレを介して瞬く間にクラス中に伝わり、昼休みにも殺伐とした空気が漂い、ヤツらに対する闘争心剥き出しの罵声が飛び交っていた。
いつのまにか他のクラスの耳にも入ったらしく、憤慨した連中が次々と状況を聞きにやってきた。
彼らの多くは、話の最後に「黙って見過ごしたらつけ上がるだけだ」「なめられたらいかんぜ。復讐しねぇと」というような、慰めの言葉よりあおる声を残していった。
最近のヤツらの振る舞いはちょっと見過ごせないことが多いと思っていたことに加え、実害はなかったにしても宣戦布告のような仕打ちを受けたのだ。
当然の反応と言えばその通りなのだろう。
翌日には「決闘で決着をつけるべきだ」いう声が圧倒的多数となり、にわかに全面戦争の様相を帯びてきていた。
その後も話はひとり歩きして勝手に膨らみ続け、「この際だからこてんぱんにやっつけようぜ」と助太刀を申し出てくる者が後を絶たなかった。
ここのエリアは昔ながらの下町なので、血の気の多いヤツが溢れているのだ。
このままでは、全員がバットやナイフを持って押しかけるに違いないと思い、やんわりと断った。
そんな大ごとになったらそれこそ一大事である。
当事者である自分たちで何とかこの問題を解決しないといけないと考え、晃二らは五人だけで話し合いをすることにした。

「正式な決闘を申し込んでみるか。泥投げ合戦みたいなヤワな戦いじゃなく」
「ヤワじゃなくてもいいけど … 痛いのは嫌だな〜」
「武器使っていいんなら鉄パイプとか手に入れようか?」
やはりいつもと変わらぬ個人的見解が先立ち、相談にも議論にもなりゃしない。 
喧嘩ではなく、あくまでも勝負とする。通報されるような大げさなことでなく、怪我人もなるべく出さないようにする。そして、しこりを残さない。
といったポイントを重視して考えていく。
特に、これで終わりなわけでなく今後も顔を合わせることはあるので、できる限り後に遺恨を残したくなかった。
それにアメリカン全員を目の敵にしているわけでなく、ちょっかいを出してくるヤツらに対してなのだ。
制裁を加えると言うよりはお灸を据える、と言った程度だと自分は思っていたが皆それぞれに考えがあるようだった。
「これが原因でハウスに立入禁止になったら元も子もないわけだし、ボビーやダンとかも疎遠になっちゃうよ」
「それよっか、リサと会えなくなったらどうすんだよ。ジミーたちと俺たちだけの問題なんだから、他のヤツらは巻き込んじゃダメだぜ」
もっともである。他で仲良くしている連中には迷惑をかけたくない。
「じゃあ、誰かに間に入ってもらって仲裁してもらうとか…」
「誰かって、そんなヤツ周りにいるかよ」
「そこまで説得力っていうか、力のあるヤツなんていねぇだろう」
少し考えてみても特に見当たらない。
知り合いで思い浮かぶ連中は決闘を主張しそうなヤツばかりである。
「じゃあさ、ウイリーに頼んでみれば?」小声で提案したブースケに冷めた視線が集まった。
「そりゃいい案だ、ってなわけねぇだろ! ヤツが関わるわけないだろうし、だいいち誰が頼みに行くんだよ。お前が行くって言うなら考えてやってもいいがな」
「…… そんなぁ … 。ただちょっと思いついただけだよ … 」
 一瞬、適任か、とは思ったが無理に決まっている。
「お前らが蒔いた種なんだからお前らでカタつけろよ」と言われるのがオチであろう。
相談だけしてみるにしても、これ以上ウイリーに借りを作るのは気が進まなかった。
と言うか、ウイリーが関わったら、それこそただ事じゃ済まなくなるだろう。

〈#6へ続く〉

https://note.com/shoji_kasahara/n/n6c0cf985b173

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