荒波のなかを漕ぎ出すクォーク
ファインマン図というのがある。クォークが飛んできてグルーオンを放出し、そのグルーオンを他のクォークが吸収してまた飛び去る様子を、矢印のついた線や波線であらわす。場の量子論の摂動計算は、このダイヤグラムを描いて対応する数式を当てはめていけばできるというとても便利なものだ。毎日こういう図を見ていると、実際のクォークもこんなふうにグルーオンを「キャッチボール」して力を及ぼしあっているというイメージを持ってしまいがちだが、これは現実に起こっていることのイメージとしてはかなり遠い。ではどうイメージすればよいだろうか。
グルーオンをあらわす場をランダムに揺らすことで「量子化」ができるという話をした。場の運動方程式にある程度したがいつつ、ランダムな揺らぎが加わる。こうして、空間中に広がった場の各点で揺れるグルーオンの「場」ができあがった。これを無限にくり返して平均すると、量子化が完成する。これが、グルーオンのつくる「真空」ということになる。まだ何もなく、ただでたらめに揺れるグルーオン場だけがある。ここにクォークを飛ばすとどうなるか。
ここで「場の運動方程式にある程度したがいつつ」と述べた。ここがやはり大事で、光子(量子電磁力学)の真空とグルーオン(量子色力学)の真空との違いはここから出てくる。光子の場合は、水面にできる波に似て、ある点でできた波が隣の点をゆらして広がっていく。一方のグルーオンでは、波の存在自体が種になってあらたな波を作り出す。隣に伝わっていくだけでなく、あらたに波風を立てるところが大きな違いだ。おかげで、ほとんどでたらめな波が自己生成される。
さて、いまのところ何もない空間、つまり真空、にクォークを生成するにはタネをまく必要がある。アップ・クォークと反ダウン・クォークを作るタネ(生成演算子という)を空間の一点に置いてみる。そうすると、クォーク場のしたがう方程式(ディラック方程式のことだ)にしたがってクォーク場が広がることになる。ディラック方程式というのは、シュレーディンガー方程式を拡張したもので、要は波を表すような方程式だ。一点にタネを置くと、そこを中心にして波が広がっていく。池に石を投げ込むと波が円を描きながら広がっていく、あれと同じことだ。違うのは水面が平らではないこと。グルーオンをあらわす場はかなりでたらめに揺らいでいる。静かな池というよりも外海の荒波というべきだろう。そこにタネをまくと、荒波に負けずにクォーク場が広がる。ただし、きれいに円を描いて進むわけにはいかない。あっちこっちにある山や谷に引っかかったり落ち込んだりしながら進むことになる。遠く離れたところで、アップ・クォークと反ダウン・クォークの波がどれだけ伝わってきたかを調べてみれば、それがすなわちパイ中間子を見ることに相当する。ただし、先にも話したとおり、背景になるグルーオン場はこれ一つではなく、さらにランダムに揺すぶられて変化していく。それらをすべて含めたものがパイ中間子をあらわすわけだ。
クォーク場は方程式にしたがって広がると言った。あれ? 量子化によってクォーク場もグルーオン場と同じようにランダムに揺さぶられるんじゃないの? と思った人は非常に鋭い。上記では、クォークが勝手に生まれたり消えたりする量子論による効果が取り入れられていない。クォークの数は保存するので、正しくはクォークと反クォークが対を作って生まれたり消えたりするはずなのだが、それが無視されている。当面、量子化の一部をさぼってイメージをつくっていくことにしよう。クォークは単に空間を広がっていくのだ。
ファインマン図に出てくる線や波線は、こうして広がっていくクォークやグルーオンの波をあらわしている。キャッチボールとはずいぶん違うイメージだというのをわかっていただけるだろうか。ただ、量子論では波の振れ幅にも最小単位があって、その一つ一つを粒子と解釈するので、その極限ではキャッチボールと言えなくもないのだが…。
「クォークの気持ち」から転載のうえ改訂。