大学は教育機関に徹するべきだ!
「大学の常識は、世間の非常識」(塚崎公義著 祥伝社新書)を読んで、つくづく感じたことがある。というより、大いに共感したと言うべきかもしれない。
同書第5章に書かれている、大学の研究と教育を分けるべきだという主張だ。
研究所は全国に数カ所に置き、大学は教育機関に徹するという著者の主張だ。
わけても、私にとって身につまされたのが、以下の文章だ。
「たとえば学生たちは、銀行員はどのような仕事をするのか誰からも教わらないのに、銀行に就職したいと考えて採用面接を受け、「なぜ銀行に入りたいのか」という志望動機まで言わされます」
私自身就活生の頃数行の銀行面接を受けたが、銀行員がどのような仕事をするのかサッパリわからなかった。ましてや、当時の都市銀行という過去の遺物は大蔵省や日銀のご指導に従って資金量でしか比較できなかった。
さほど志望していなかった都市銀行の面接で、「なぜ当行を志望したのか」と問われ、
「上位都銀はどこも同じようなものなので、とりあえず訪問しました」
と答えたら、
「そんな志望動機じゃ、いかん!!」
と、罵倒された経験があります。
「そんなことを言われても、貸し出し金利も預金金利もどこも同じじゃないですか?素人の学生である私に違いがわかる訳ありません」
と言い返し、面接官の不愉快な顔を後にしながらその銀行の就職面接は止めにした。
今から考えると、とても生意気で嫌な就活生だったと反省している。
後から知った話だが、当時の東大法学部では優と良が半々くらいだと上位一割に入っていたそうだ。
私は、優の数が良より3つ勝ち越しだったので、おだてられて舞い上がっていたのだろう。
(余談ながら、就職が決まった後の4年生は全く勉強せず、成績は最悪だった)
日本の大学生のほとんどが研究職ではなくビジネスに携わるのだから、ビジネスに直結した教育をしてもらった方が有り難い。
憲法の芦辺先生の説が司法試験で重宝された時代があったが、芦辺先生の講義を直接受講するより「芦辺説」をわかりやすく説明してくれる司法試験予備校の方がはるかに試験対策としては有益だった。
私は現在、サイバー大学の客員教授として「六法と法哲学」を教えている。
教育に専念して研究は一切していない。
ところが、学生諸氏からは高度かつ質の高い質問がたくさん舞い込んで驚愕した。
教養課程での「法学入門」の位置づけなのに、民事訴訟法の「(当該不動産の)Aもと所有」はどこまで遡らなければならないかという質問もあった。
私は幸いにして知っていたが、法曹界の諸氏のどれだけが正解を知っているのか興味深い。
大学を卒業して、とりわけ文系では、研究職に就くのはほんの一握りだ。
大多数の学生のために「教育機関」に徹することが必要だと痛感している今日この頃だ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?