栄養士になった理由
高校一年の時に進路をどうしようかな?と考えてました。
高三になってから考えるのは面倒臭いから、早く決めてしまおうという魂胆です。
その時は陸上にのめり込んでいました。室伏広治選手に憧れて、種目は違いますがやり投げをしていました。ただ自分の身体は細くて筋肉もなく長距離タイプでしたが、トレーニングをすれば、室伏選手みたいな筋肉隆々になれると思いました。
筋肉を増やすためにはトレーニングとあとは食事が大切だと思いました。筋肉を増やすための効率の良い食事を摂れば強くなれると。
それと小さい頃は料理人になって店を出すとか言っていたみたいで、料理人にも興味がありました。加えて、生物も好きで人体の構造が好きでした。
これらのことを考えて、栄養士になりたいと思いました。
将来は陸上選手が無理でも、陸上選手の栄養管理がしたい、と考えました。陸上から離れたくなかったのです。
それから、栄養士のことを調べたり、足を怪我して走れない時期があり、色々と考えました。
足を怪我したことが大きく、陸上選手の栄養管理よりも、人の健康を守ることを興味を持ち始めました。何故なら、怪我をして自分のやりたい事が出来ないのが辛かったからです。
怪我の場合は栄養士よりも理学療法士になるのですが、自分はもう栄養士になると決めていましたので、心変わりはしませんでした。
「病気になって自分のやりたい事が出来なくなる人を防ぎたい、だから人の健康を守りたい」
そう思うようになっていました。
どうすれば、人の健康を守れるのかを調べていたら、栄養教諭になって小学校で働くという方法を知りました。
「これや!」
と思いました。
病院になってから治すのではなく、病気にさせないようにする。そして、食育を通じてその人自身の手で健康を守る力を育むことが出来る。小学校であれば、子供と向き合える時間が長くあり、じっくりと食育に時間をかけられる。一人ひとりと向き合い、その子のことを深く知って、共に成長して行きたいとも思いました。
あとは、生まれ故郷の天草に帰ろうと思っていましたので、田舎での就職に強いと思いました。
だから、自分は「栄養士になりたい」と思いました。
しかしながら、やはり頭からずっと離れない1枚の写真がありました。
中学三年生の時に見ました。
詳しくはこちら↓
栄養教諭になるとしても、一度は途上国へ行って、自分の目で世界の栄養状況の現状を知りたかったです。
将来、栄養教諭になって小学校で子供たちに自分の目でみた世界を伝える事によって、食べ物の大切さを知って欲しかったからです。
私のnoteを読んでいただいてる人は知っての通り、この後、一浪するものの、大学受験に失敗し専門学校へ進学をします。↓
もし、大学へ進学が出来ていたら、今頃は天草の小学校で大好きな子供たちに囲まれて過ごしていたことでしょう。
でも、今はあの時に、「苦しんで、悩んで、病んで良かった」、と思います。
それにより、今後も途上国の栄養問題に取り組んで行きたいと思えましたから。
グアテマラで素敵な出会いもありましたし、やっぱその人たちの笑顔を守りたいです。
自分はもう十分に幸せなので、残りの時間は人の健康を守るために使います。
諦めません。