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精神安定剤の建築

地球建築家 11-1 アルヴァ・アールト


「建築とはいったいなんなのか」

「建築にはいったいなにができるのか」

建築の世界に飛び込んで間もない頃、たいそうな建築家ぶって、そんな大きなことばかり考えていた。要は、自分なりの「建築論」である。

ルコルビュジェは「住宅は住むための機械である」と言った。

黒川紀章は「建築とは時代精神の究極の表現」だと言った。

その他にも、あらゆる建築家の「建築論」をむさぼり読んだ。しかし、どれもしっくりこなかった。

もっと人間の内面と結びついた言葉がないのだろうか。

建築は資本主義と結びついたとき、金を生み出すための道具となる。昨今その風潮は変わってきてはいるが、依然として商業施設などは人を呼び寄せるための道具であることに変わりはない。

その道具は、早ければ数年で取り壊され、人々の記憶の片隅にも残らない。

建築なんてそんなものなのだろうか。そんなものに一生をかけるなんて馬鹿げている。私は毎日悶々としていた。

そんな時、出逢ったのが「建築とは精神安定剤である」という言葉だった。

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アルヴァ・アールト「マイレア邸」(写真はネットより引用)

この言葉に出逢ったとき、悶々としていた頭の中がスーッと晴れていったのを覚えている。

本か、建築雑誌に書いてあったと記憶している。正確に思い出すことが出来ない。もしかしたら、アールトの言葉ではないかもしれない。

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アルヴァ・アールト「メゾン・カレ」(写真はネットより引用)

しかし、アールトの建築を観ると、本当にその言葉がしっくりくる。だから、アールトの言葉ということにしておく。もし、ご存知の方がいらっしゃったら教えて頂きたい。

人間の一生は悲劇と喜劇の取りあわせです。私たちの身のまわりにあるデザインや形あるものは、この悲喜こもごもの日々を伴奏する音楽なのです。家具、布、色のスキーム、建物は、人間の悲しみや喜びに自然に寄り添えるよう、適切で誠実につくられたものであるべきです。アルヴァ・アールト

アールトの人生は波乱万丈だ。

1898年にフィンランドで生まれ、2度の世界大戦を経験している。

26歳のときに妻のアイノ・アールトと結婚するが、51歳のときに先立たれている。その三年後、エルサ・マキニエミと再婚する。

1976年の5月11日にヘルシンキで死去した。

私は戦争を体験したことはないし、妻に先立たれたこともない。

想像することしかできないが、アールトはきっと気が休まることがなかったのではないだろうか。引用の言葉からそのことをうかがい知ることができる。

「精神安定剤の建築」はそんな激動の人生の中で、いつしか生まれ出たものなのではないだろうか。

アールトは精神安定剤が欲しかったのだ。それを建築に込めたのだ。

アールトが言うように、人生は悲劇と喜劇の取りあわせである。

荒波に翻弄され、遠くを見れないとき、どうか建築だけはそこにいて、動かないでいて欲しいと思う。

人間の一時の感情や欲望には無関心で、平然と、堂々といてほしいと思う。

そして、いつもそっと寄り添ってくれる精神安定剤であってほしいと思う。









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