私がみてきたアートと彫刻の20年 #2 「ひとりになるためのアート」
35歳アート底辺として節目を迎えたことをきっかけに書き始めたnoteの第二回です。今回は高校生で出会ったアートについて書きます。今回は超個人的な内容や画像等もないので、有料部分は投げ銭コラムというふうにしてみます。少し前の美術受験のことも書いてあります。私は現在美術系予備校の講師もしているので、それなりの情報としてご活用いただければと思います。
普通科高校(私立)の美術
高校が私立の中高一貫Fランの進学校(?)だった上に美術部もなく、部活が大の苦手だった私にとっては、美大受験の美術というのは非常に刺激的な経験でした。というのも、美術の先生は当時たった一人しかおらず、母校はお世辞にも芸術系に力を入れているわけではありませんでした。その非常勤講師の先生はユニークな方で素晴らしかったのですが、私たちの間では評定平均のためにこなすのが美術(しかも選択制)という感じがあったんです。もちろん楽しいんですけど、そもそも美術で大学に行こうとする人が当時は年に一人いるかいないかくらいだったので、美大受験についての情報はあまりありませんでした。授業もどちらかといえば使える美術、デザインの範疇のものが多かったと思います。中学3年生の頃の担任には進路指導時、厳しい世界だからやめておけと言われました。そして、美術の先生は可能性はあるからまずとりあえず予備校に行ってみなさいとアドバイスしてくれました。
ただ、こうした環境も東京都内の私立高校特有のものだと思います。地方には美術予備校がそもそも多くない状況となってきていることもあって、選択肢は地方と中央ではだいぶ差があるのが現状です(一昔前は地方大都市には少なくとも一つは美術予備校があったと思います)。東京5美大(と言われる、多摩美大・武蔵野美大・東京造形大・日大芸術学部・女子美大)、藝大の受験生も東京にいる高校生ばかりになっているようで、地方の高校生は地方の大学の芸術学部にストレートで進学するというケースもかなり多くなっていると聞きます。
ある意味、中央から地方へという価値観の転換の一つと言えますが、東京の美大芸大の競争率が下がるということが日本の美術にどういう効果をもたらすのかはわかりません(むしろいい効果があるかもしれません)。
現役合格を狙ってダブルスクール
そんな感じでとりあえず美術予備校に通い始めるのですが、まずは基礎科という、受験する学科をまだ決めない段階で通えるコースに入りました。芸大・美大受験といえば、浪人が当たり前と言うイメージがありますね。少子化の現在では少なくはなりましたが、2浪、3浪は藝大に限ればまだ相当数がいます。4浪それ以上もいるようです。そもそも定員が少ない学科が多いわけですから、現役合格自体が難しいのは理解に容易い。私が入った東京藝術大学彫刻科は大体一学年20名で、そのうち現役生は毎年1〜5名前後といった具合だったかと思います(より特殊な分野なので倍率は低い方でした)。なので始めるのは早いに越したことはないのです。しかし、受験科を決めてその試験内容に特化した造形力をつければ済むかといえばそうではありません。一通りなんでも思ったことができるように、基礎的な美術の造形力をつける必要があります。そのため高校1、2年生向けの基礎コースがどの予備校にも大体設置されています。
私は、あくまで現役合格を目指し、高校1年生から週1で実技課題をこなすようになりました。そこで経験したのが、高校の美術とは全く違う、「作ることと見せること」のプロセスでした。高校2年生では週5で通い完全にダブルスクールとなりましたが、その経験が今につながっていることは間違いありません。
藝大で求められる浪人ありきの造形力 美術予備校と美術系高校の違い
結局現役でそのまま合格できなかった私は、1浪の末東京藝大彫刻科に入学しました。競争率でもって高く引き上げられた造形の基礎力について、高校だけの美術の教育で足りない能力が問われている入試が構造的にどうなんだと思われるかもしれませんが、美術に特化した高校に通ってもなお浪人する人はいるし、むしろ美術科高校では一般教養的な科目についての学力が重視されないケースもあり、私個人としては特殊な能力を要する学科としてバランスは現況で取れていると感じています。
美術科高校に通っていた友人に聞いたところによると、私の目からは彼女が通っていた高校は、高校卒業時にアーティストとして自立できることを念頭においたカリキュラムを組んでいるようでした。
それに対して美術予備校は、受験に必要かつ制作に必須の基礎造形力を手早くつけることを徹底してシステム化しています。大学のスタッフとして数年働いたことでも痛感していますが、そもそも今の制度では大学4年間で美術の初歩から専門性を獲得するところまで包括的に教えることは不可能で、相当に改革が必要です。そういう意味で美術系予備校は、日本で作られてきた芸術系大学の教育システムに欠かせないものとなっています。これが美術科高校との大きな違いです。美術科高校は美大・芸大にとってもちろん受験生の確保には必要かもしれませんが、教育のシステム上は必ずしも必要ではないということなのです(※美大進学のためのカリキュラムをもつ美術系高校ももちろんあります)。
美術系高校出身者とそうでない学生の間に、美大入学後に大きなアドバンテージがあるかと言われれば、正直ほとんどないと思います。極端な話、その経験の差が学部卒業制作の質の差として現れることはあまり無いのです。
制作と講評 人の前で作り、作品を見せて評価されるということ
美術予備校で初めて経験した、6時間ぶっ通しの制作(週一のコースでは朝から夕方までで1作品作り上げます)、その後の作品を並べての講評というのは、私にとってカルチャーショックに近いものでした。そもそも色んな人(たくさんの絵の上手い人)の前で作品制作をすることもビビることなのに、作ったらそれを全員分並べて比較され、その場で講評されるのです。それまでは、絵は描いたら先生に提出して点数がつくものでしたが、ここではそうではない。比較され評価され、良い点と悪い点、足りない点がすぐさま言語的に示されます。人によっては大変辛いことかもしれませんが、私にとってはこれがむしろ集中して打ち込むためのポイントになったと思います。逆に、コンクールでない限り作品に明確な点数がつけられることはありません。ここでは作品評価の数値化よりも、言語化に重きが置かれているんです。
一見感覚的に作られたと思われがちな「作品」というものが、〜だからここはいい。〜だからこう見えない。〜をすればもっとこうなる。と具体的に批評されることで、良い作品は奇跡の賜物ではなく必然的に出来上がるのだとわかるわけです。
言い換えると、作品が自分から切り離されたものとして扱われることに驚いたのですが、作品の価値を共有し相対化すること自体が美術の世界で行われていることなのだとなんとなくわかったのかもしれません。美術が「ただ好きなもの」ではなくなっていく第一歩が、制作と講評のリニアな関係を体験したことでした。
作品がものを言う世間
高校は男子校だったのですが、学年が上がるごとに、部活の中での人間関係のこじれ(受験のために引退するしないとか)、推薦をもらったもらわないとか、それをきっかけにハブられたりする空気が発生していました。それ自体理解できなかったのですが、気づけば自分もクラスの爪弾きにあっていました(高校2年時)。振り返っても理由は全くわからないのですが、野球部の中心にいた生徒に嫌われて総スカンを食らっていたようです。
対して、美術の予備校では先輩も後輩も関係なく、良い作品を作れば認められます。自分が知らないだけかもしれないけど、陰湿な妬みやそういったいじめはあまりなかったのです。イメージと違うかもしれませんが、表面的に誰かの作品をパクっても自分の力では全く作品にならないからなのかもしれません。どんなに友達と連んでいても、自分の作品の前ではたった一人の作者になるのです。そして、講評に並んだ時、イケメンだろうがオタクだろうが、対等な作者として講評の場で作品を介したコミュニケーション(実際にたくさん話したりディベートをするわけではないですが)が発生します。思えば小学生の時の塾や、中学、高校と大なり小なりいじめられてきた自分にとっては、自分らしくいることで嫌われない世間があると言うこともすごく驚きだったのです(それに比べると美術大学やその後の社会は陰湿な部分がすごくあると思います。予備校の、基礎力を高めると言う目的が余計なノイズを発生させない要因だったのかも)。
アトリエは孤独になる場所
なんとなく絵描きにはスランプがつきものというイメージがあると思います。確かに何をやっても上手くいかない時というのはあるものです。私の経験においては、スランプには必ず理由があります。その多くが、作品(モチーフ)と私一人きりになれていないというものです。
例えば、仲の良い友達が制作中の休憩しているときに、一緒に休憩しておしゃべりしたりすると、それが目的化してしまって結果自分のペースが乱れたり、集中が途切れてしまいます。制作においては無駄に思える作業でも、良い作品にとっては全て無駄がない積み重ねです。そしてその良い作品とは出来上がったときにしか見えてこない、まだ見ぬものなのです。だから、作品と対峙するときは、たった一人の自分(油断のないリラックスをしている状態の自分、自然体の自分)になる必要があります。ゼロから完成まで、全て自分の責任において手が下されるので、描く作るだけでなく、所作の全てが作品に関連してきます(足元を片付けるとか、立ち上がって離れてみるとか、、、)。
一方で、集中して制作できていると思っていても、その瞬間アトリエで作品と対峙できていないこともあります。例えば過去の自分に支配されている時や、表層的な憧れで表現する本質から離れてしまう時です。「あのときはこう上手くいったから、また同じようにやってみよう」とか、安易に「あの人の作風いいよね、真似してみよう」みたいなふうに、その瞬間の自分と作品(モチーフ)のその時の関係性の中から紡ぎ出した表現でないものは、絶対にリアリティを獲得することはありません(自己模倣や、引用を悪いものと言っているわけではなく、それらもその瞬間の作品と自分の関係性に基づいて行われなければならないという意味です)。
孤独=寂しい ではない
作品制作においては、孤独はかけがえのないものです。どんな場所であっても、作品は自分を"一人の人間"その存在へ還元してくれます。自分が作品の前で孤立化された一人の人間でいられるということは、日常の悩みから一時的に解放されるということでもあります。多感な高校時代に、受験を通して「作品」に向き合い打ち込むことで、私はそれまでに感じていた孤独感やモヤモヤした気持ちから距離を置くことができるようになっていきました。何事にも集中してこなかった私が、「美術」には無心で打ち込むことができたのです。 自分の力ではどうにもならない不条理に直面した時の逃げ場として、美術は私にニッチを与えてくれました。こうした美術と私の関係は彫刻に出会ったことでより強くなっていき、大学に入っても大きく変わることはありませんでした。
制作の中では、作ったものを最初に常に観るのは自分です。自分で始めて自分で終わらせる。この実直で新鮮で創造的なプロセスに、私は強く強く惹かれたのだと思います。
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