私が見てきたアートと彫刻の20年 #1 「彫刻がわからなかったから」
父の死をきっかけに唐突に書いたnoteの記事から一年と一月が過ぎました。色々と自分の節目が見えた一年だったので、色んなことを振り返って少しずつ書いてみようと思います。
はじめに
「彫刻」は普段普通に過ごしていて存在を意識することはないし、美術館でも割とスルーされがちなんじゃないかと思っています。もちろん作家単位では有名なものもあるでしょうけど、相対的に彫刻というのはわかりづらいんじゃないかと感じています。割と作り手にとってもそれは同じだったりして。彫刻をまとめて紹介する企画展も盛んであるとは言えません。そんな少し地味な彫刻という分芸術ジャンルことをもっと色んな人に知ってもらいたいというのがこのnoteの主旨にできたらなと言う感じでやってみます。
彫刻はとっつきづらい友達
彫刻には、気づいた人にだけわかる「優しさ」や「確さ」があって、それは彫刻の方からやってくるものではありません。だからとっつきづらいものだというのは、実は高村光太郎が何度も書いているように、日本において彫刻が自覚的な芸術のジャンルとして確立した時代から全く変わっていない。だから、美術を通してその魅力に気付いた私は、ある意味それに救われてきたところがあると思います。私にとってはそれが、ある時は逃げ場に、ある時は手応えのある確かな目標に、ある時は自分に寄り添ってくれるモノとして、気づけばなくてはならない友達のようなもの(というのは少し大袈裟ですが)になってきたんです。
これからいくつの記事が書けるかはわかりませんが、私が過ごした幼少から彫刻に取り組むようになった経緯や、アートと生きることの兼ね合いについてどう考えるか、東京藝術大学彫刻科での14年間を振り返りそこで体験し見聞きしたことから、日本の彫刻が現在どのような姿をしているのかなどを記事にしていけたらと思っています。
第一回目の今回は自己紹介を兼ねて、彫刻に向かったきっかけについて書きます。
私のこと
私(北山翔一)は、1988年東京の江東区で生まれ、千葉県浦安市で育ちました(面倒なので、普段は千葉県生まれとしています)。高校生の頃に美術を志し、一年の浪人を経て2008年、東京藝術大学美術学部彫刻科に入学し順調に学士〜博士課程を修了(’17)、その後助手、助教(~'21)として当該学部に勤務し現在は任期を終えてただの人(フリーランス)です。大学には14年いたことになりますが、今はそのキャリアを活かせないアート底辺(なんとなく自分をアーティストとはいえない気がしています)を自認してなんとか生きています。
一応、美大受験で実技指導を行う予備校講師と、彫刻を受注で請け負う仕事を不定期に行い、ギリギリ赤字にならない程度で都内で暮らしています。その傍らで今年、2023年6月に個展を行うことができ(余った貯金の切り崩しと知人からの借金多数でなんとか、、そして作品は一つも売れませんでしたが涙)現在に至ります。
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