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死者からのメッセージ・危険な香り そして・・・・・・ (ペルーその❼)
「記憶の断片」
リマ市内、繁華街裏通りに立ち並ぶビル。その一角に宿泊するホテルはあった。
外観からも派手さはなく地元の人が使うビジネスホテルという感じか。
外国人が隠れ家として泊まるにはちょうどいい。
値段は一泊50ドルほど。室内はそれほど広くはないが綺麗でバスルームとトイレは別々。レストランがあり朝食サービスもある。
大谷さんはツーリストガイドをしているのでリマ市内のホテルをほぼ知り尽くしている。その中から選んでくれた。
その大谷さんを日本で紹介してくれた母親の鄭さんが、急遽ぺルーに来ることになったと大谷さんが話してくれた。
日本で開くフォルクローレコンサートの打ち合わせもあるが、そうしたフォルクローレを日本に紹介する活動のほかにもう一つ重要な活動もしていた。
そちらの活動の件で2日後にリマに来るという。
その活動とは、スラムや貧しい人たちに日本で余っている医療品・薬、衣服、食料などを届ける活動である。
企業などの協力で集まったそれら物資は船で送るが、急を要する医薬品など飛行機の手荷物として運ぶためである。
それら物資の受け取り窓口となっているカトリック教会・神父からの連絡で薬など早く届けることになったそうだ。
当時リマで、ぺルー最大・最悪と言われていた「サン・コスメ・スラム」
そこでそのカトリック教会は活動していた。
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私はその知らせを聞き、ホテルのベッドに寝ころび考えていた。
スラムも取材予定リストに入っていたがこれで実現できそうだ。
もしかするとそこから「センデロ・ルミノソ」にたどり着けるのではと・・・・・
鄭さんが来るのは2日後。それまでに予定していた取材を終わらせ、残りはスラムだけに絞ろうと考えた。
「サンデープロジェクト」で私の担当する海外特集コーナーは15分から20分ぐらい。スタジオ構成なのでそこに流すVTRの取材が最低でもできていれば番組は成立する。
スラム取材ができれば「センデロ・ルミノソ」がなくても充分すぎる成果である。
しかし「センデロ・ルミノソ」が頭から離れずふくらんでゆく。
ここにくるまでの国内取材は、周りのディレクターがあまり手を出さない内容が多く、そのせいかそうした取材が私にまわってきていた。
ボッタクリバーの潜入取材、暴走族、反社組織や構成員、歌舞伎町・スネークヘッド、右翼団体、あるいは自然災害の被災地などなど。
特に正義感が強いとか怖いもの見たさとかではなく、他の人がやらないのならやってみようかと、自然な本能のままにそうした取材に向かっていたように思う。
腕力も度胸もないのに危険な香りに引き寄せられる体質なのか、動物的本能が強いのか。
そんなことを、とめどなく思いめぐらせていると、ある言葉が意識の底から湧き上がってきた。
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」
物心がついて小学、中学、高校と専門書以外のあらゆる本を読み漁っていた。
厳しい両親の監視のもとから逃げ出すため、学校の図書室や本屋に通っていたのだ。
その時に出会ったニーチェの言葉だが、ふとした時に思い出す。
この時もそうだった。
それなら
「そっちが私を覗き込むまで、限りなく深淵を覗き込んでみようかと」
大谷さん、アントニオ達との食事の時間になり、
「サン・コスメ・スラム」の話を聞いた。
この当時、海外主要メディアはぺルーを良く取り上げていた。
内乱状態の中で生まれた日系人大統領は格好のネタだからだ。
そうしたニュースにスラムの話も出てくる。
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アントニオによれば
「スラム取材はCNNやロイター通信の依頼で何度かやったことがあるが、いつも治安部隊や軍が組織犯罪の手入れを行うときに同行しての取材だった。
単独での取材は危険すぎるのでやったことはない。
それも サン・コスメ・スラム に関しては入り口付近だけで奥には入ってない。
あそこは犯罪組織だけでなくセンデロ・ルミノソもいるし危険すぎるから、
ペルー人だけの撮影クルーで。
外国人ジャーナリストは撮影で入ろうとして何度も襲われている。
はっきりいって行きたくないよね。」
大谷さんは、
「私と母は、救援物資を届けるために何度か入っている。スラムの丘の上にある教会まで、ペレイラ神父達と一緒に。
神父達がいなければ入っていけないところ。」
アントニオ
「テレビカメラがあるのとないのとで反応が違うよね。
神父が信用できてちゃんとエスコートしてくれるのなら撮影も可能かな?」
スラム取材に気乗りでないアントニオとセサールの説得のため、ペレイラ神父との打ち合わせを大谷さんに頼み連絡をしてもらう。
大谷さん
「母が風邪薬や消毒液など持ってくるので神父は喜んでいる。取材にはできるかぎり協力するので安心してくれと言ってくれた。
それで神父とは明日会うことになりました。」
アントニオ達と別れ大谷さんと街を散策してみる。
大通りでは物売り、靴磨きや車を洗う子供たちが多くいる。
みんなスラムから働きにきている。
なかには空腹を紛らわすため、ビニール袋に靴修理で使うボンドを入れて吸っている子供もいた。
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大谷さん「これが今のぺルーよ。今は静かだけどいつどこでテロが起きるかわからない。」
大谷さんとピスコサワーを飲み、静かな夜を迎える。
今日は サン・コスメ・スラム の神父と会う日。
スラム近くの繁華街にあるカフェでペレイラ神父と会う。
彼の力強い視線、物静かにハッキリ喋る口調、その態度や話から彼の誠実さが伝わってくる。
アントニオ、セサールもペレイラ神父と会い、魅入られたように話し込んでいた。そして安心したのかスラム取材の具体的な打ち合わせも済ませる。
ペレイラ神父と別れ
アントニオ
「久しぶりにまともで立派なペルー人にあった。彼ならスラム取材も安心してできる。サン・コスメ・スラムに入るのは初めてで怖いけど、今はカメラマンとしてやる気になった。いい仕事ができそうだ。」
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明日の未明、大谷さんの母・鄭さんがリマに来る。
そして午前9時、ペレイラ神父と「サン・コスメ・スラム」の入り口で待ち合わせ。
スラム取材の開始である。
ぺルーその❽に続く
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