ロンリー・パーティー①
「ちょっとお話があるんですが。」
神妙な顔で部下にそう言われ、何かあったのだろう、と思いながら話を聞くことにした。
私は今、東京都内の賃貸住宅を管理している会社の管理職として、居住者の対応全般を行っている。
様々な居住者の人生に直面する仕事のため、当初は面食らう事もあったが、徐々に慣れ始めた時期での、部下からの相談だった。
部下は、淡々と報告を始めた。
「先日、90才単身の男が引っ越して出ていった部屋なんですが、今日現場の担当が出向いたらゴミ屋敷になっていて、玄関を開けるとバリケードみたいになっているんだそうです。それで、妙なんですが、玄関には自力で取り付けた電子錠のようなものがあって、このゴミ屋敷を家主が厳重にロックしていた形跡があるんです。そのうえ、そのゴミ屋敷、もう誰もいないはずなのに、中に人の気配を感じるらしいんです。」
私はすぐに、「警察に相談した?」と尋ねた。部下は、「まだです。」と言う。私は今日はもう夜遅いので、明日、交番の巡査と一緒にその部屋を調べるよう指示をした。それがこの事案の第一報だった。
翌朝、交番の巡査同行のもと、その部屋の調査をした部下から電話が入った。結果はこうだった。
ゴミ屋敷の中に衰弱した女がいた。年齢は40代と自分で言っているが、まるで老婆のような外見。歩行もままならないほど痩せ細っており、体重は30キロ代ではないだろうか・・。
這い出てきた女は次のようなことを言ったそうだ。
もう10年近く、ここを出ていない。私は前に住んでいたところでDV被害を受けて、たまたま近くに住んでいた老人に助けられた。
老人はいつしか私を好くようになった。そして面倒を見てくれるようになって、この住宅を私に当てがってくれた。
私の生活保護費は彼が代理で受け取って、その費用で私を養ってくれていた。だけど先日、「もう面倒を見られない。」と突然言われ、「この家からも出て行きなさい。」と言われた。そして老人とは連絡が取れなくなった。
それから数ヶ月経って、電気も、ガスも、水も止められた。今までは老人が玄関前に運んできてくれていた食料を食べていたが、それも運ばれなくなってしまった。だから、家の中にある缶詰で飢えを凌いでいる。
私は今日はあなた方と話をしたが、これまでも、これからも、その老人としか話をしない。老人と話をさせてほしい。老人の言うことなら従う。「出て行きなさい。」と老人に言われたので出ていくつもりだ。けれど、やり方が分からない。
女はそう言って、這いつくばって、ゴミ屋敷の中へと戻っていったとのことだった。
部下は電話口で、「これから老人の転居先に向かいます。」と言った。私が「同行した警察官はどうしたのか」を尋ねると、「これ以上警察ができることはないとして引き上げた。」との事だった。「どうやら区も、この住宅の住人がこのような状況になっていることを把握していたものの、今出来ることはないので、様子見、だそうです。」
私は、早晩この女は間違いなく死んでしまうだろう、と思った。
見捨てられ、ゴミ屋敷からの出方も分からない女。
部下には、「老人の転居先に向かうのはいいが、少しでも異変を感じたら引き上げるように。」と指示した。
数十分後、老人の転居先を訪れた部下から写真が届いた。
戸建ての廃屋だった。表札は間違いなく老人の苗字で、汚い手書き。
「ここも中はゴミ屋敷です。中に誰か人がいるかは・・・分かりません。」との事だった。
私は、部下に引き上げるよう指示した。
今からもう20年以上前の、2001年。
大学の卒業にあたり、私はゼミで一つの拙い文章を書いた。
名目は「卒業論文」という事になっているが、論文などとは到底言えない代物として仕上がった。
しかし政治学を学んでいた当時の私は、それでも無い頭を使って、何とか一つの事柄についてフォーカスし、考えをまとめようとしていた。
それは「親密圏」という概念だった。「親密圏」とは、一般的に、血縁や婚姻によらない「家族的」関係のこと、として論じられるものだ。
私は当時、ゼミの影響もあって、「公」と「私」についてや、「孤立化する個人」というものについて思いを巡らせていた。
2001年の私の文章には以下のような記述がある。
「しかしながら日本における産業化は核家族化を進行させた一方で、財閥研究の所論が示しているように、同族的な結合に基づく家の連合体によって支持されつつ進行してきた側面を看過することはできない。このことから分かること、そして私が僅かながらも光明を見いだせると考えている点は、この家や家族が持つ機能面の多様性、特質性についてである。」
「それでは我々はまず既存の家族の存在を破壊した後にどのような観点から家族というものを捉え直せばよいのであろうか。この問いに大きな光を与えてくれるものが先人の叡智を結集させて誕生した『親密圏』という観念だと私は信じて止まないのである。」
「私が思うに先ず、家族という生を受けて初めて出会う集団にこの親密圏としての空間であるという意識を持ち合わせ、セルフ・ヘルプグループ同様『作り上げ』、困難に着目し外に提起するという公共的機能を根付かせることが必要であると感じるのである。」
あれから20年以上の月日が経った。
何の因果か、私は今の職場で、様々な家族関係や、家族「的」関係、そして前述したような、ある種の「事件」のような状況に直面し、当時の私の考え方の稚拙さ、時代の変化、そして改めてこれらにまつわる問題について思惟し、再考し、文字化したい、という欲求に駆られるようになった。
あの20年前の、拙い文章だけが残ってしまうのは嫌だ。
そう思った。
そのために、この「親密圏」のことだけではなく、この20年間、漠然と考え、感じていた事を振り返り、言葉にしよう。文字にしよう。その事を前提として、読めていなかった本たちを手に取ろう。
読書の時間は限られており、筆は遅いだろう。けれど、21歳の自分を上書きする冒険を始めよう。
45才になった私は、そう思い立った。
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