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障害者が合理的配慮を申し出ることはわがままなのか

3月中旬、X(旧Twitter)に車いすのインフルエンサーが「映画館のスタッフから、今までしてもらえた座席への移乗の配慮がこれ以上はできないので、今後は別の映画館にいってもらえないか?というようなことをいわれた。これまで3回ほど対応してもらえたのに。悔しい」という投稿をおこないました。

この投稿について映画館側はすぐに謝罪文を公表したのですが、Xでは車いすのインフルエンサーに対する非難が殺到したのです。


ネットでは大炎上

「移乗が必要なら、介助者を連れていくのが常識」

「車いすユーザーが事前に連絡もせず、映画を見にいくのは自己中心的過ぎ」

「弱者であることを盾にして、映画館をネットでさらし者にするなんてひどい」

「自分は金がないからネット配信で映画を見ている。あなたもそうすれば?」

多くの投稿はインフルエンサーに対する非難でしたが、中には「これからは民間施設にも合理的配慮が義務付けられるのだから、企業の方にも環境を改善する義務があるのではないか」という意見もちらほら見受けられました。

しかし、そういう意見の人には「それでは施設を改装することになるが、その費用は誰が出すのか」「企業に一方的に負担を押し付けるのか」という反論が寄せられました。

さらに他の車いすユーザーからも「自分たちは事前に連絡をして映画にいったり、介助者を同伴している。車いすユーザーがわがままだと思われては困る」という声が上がっていました。

恐らく「車いすユーザーがみんなクレーマー体質だと思われては困る」という危機感からの投稿だとは思いますが、正直「私は自分の立場を弁えている、控えめな障害者です」と必要以上にへりくだっているようにも思えます。

そして終いには「暗所恐怖症の人やパニック障害の人たちだって、映画館にいきたくても発作がでると困るからいけない。車いすユーザーにだけ配慮するのはやりすぎではないのか」というめちゃくちゃな意見まで出てくる始末です。

障害者が合理的配慮を求めることが、自分勝手すぎるように捉えられているように思えてならないのです。はたして合理的配慮を求めることは、本当にわがままなのでしょうか?


「合理的配慮」ってなに?

そもそも「合理的配慮とは何か」ということを、障害者自身が正確に分かっていないように思えます。そこで、改めて合理的配慮とは何なのかを、簡潔にまとめてみました。

「合理的配慮」とは、障害による困りごとへの配慮を事業主に求めることが出来るという、一種の権利のようなものです。なお、事業主とは一般企業や自治体、教育機関などを指します。

事業主に合理的配慮を求められる根拠は、障害者差別解消法や障害者雇用促進法で、合理的配慮を求める権利が認められていることにあります。

なぜ障害者の権利として認められているのでしょうか?それは、障害者にとって社会には「生きづらくさせるバリア」が随所に張り巡らされているからです。

例えば、今でこそ当たり前になっている公共施設のエレベーターも、元は車いすユーザーなど外出時に困難の多い身体障害者の方々が運動を展開した結果、勝ち取った合理的配慮なのです。

現在ではそんなことはすっかり忘れられてしまい、車いすユーザーに対して「車いすだからといって、当たり前にエレベーターを使えると思うな」と勘違い発言をする人が出てきてしまいました。

障害者枠での雇用であれば、就職先の企業に合理的配慮を求めることが可能です。しかし、ここで注意しないといけないのは「個別に対応が必要となる合理的配慮は、事前に企業に申し出た上で、合理的配慮を求める必要がある」という点です。

企業とともに話し合いをおこない、落としどころを探っていくことになりますので、企業にとってあまりにも負担になることは、場合によっては合理的配慮とは認められないこともあります。

基本的には合理的配慮は、障害者と事業主の相互理解があったうえで提供されるものなのです。


「合理的配慮」と「わがまま」はどう違う?

さて、合理的配慮を求めることはわがままではないということは、お分かりいただけたかと思います。

しかし中には「障害者雇用で働くときの合理的配慮として、どこまで企業側に求めてよいのかわからない。『こんな要望はわがままだ』と受け取られないか?」と心配する方もいらっしゃるでしょう。

そこでこれから「合理的配慮となる個別対応の依頼」と「わがままと受け取られてしまう個別対応の依頼」の違いを見ていきましょう。

例えば、うつ病であることをオープンにして、障害者雇用で中途入社する方がいたとします。

その方の仕事面での困りごとには「ストレスに弱く、注意をされると過剰に委縮してしまう」「とても疲れやすい」「仕事量が適量を超えると、症状が悪化してしまう」といったことがあります。

会社との協議の末、個別対応の合理的配慮として定められそうなのは、以下の3つです。

1、業務に慣れるまでは、原則残業なしとする。また、業務中に気分が悪くなったときは、休憩室で体を10分程度休めるようにする。
2、業務内容について指導をするときは、事前に指導があることを知らせ、心の準備をさせる。
3、定期的に面談をして、体調や仕事量の相談をする機会をつくる。

ちなみに、わがままな要望と受け取られかねないのは、以下のような配慮を求めた場合です。

「体調が悪く、つらいと感じたらすぐに退社させて欲しい」
「人に注意されると萎縮してしまうので、ミスをしても注意しないでほしい」
「自分の顔色や様子などをみて、上司の方から『仕事量は適切か?』など積極的に自分に声をかけて欲しい」

わがままな要望だと受け取られかねない配慮の、どういうところが問題なのか、何となくわかったのではないでしょうか。

合理的配慮として認められた対応は、企業だけが一方的な負担を強いられないということ。障害を持つ社員も、配慮を求めつつも自分で対処できることはこなす、ということなのです。

特に「ミスをしても注意しないでほしい」「上司は常に自分の様子を気にかけ、声をかけて欲しい」という配慮をお願いすると、企業あるいは上司にだけ負担がかかってしまいますよね。

とはいうものの、中には自分から相談することに強いストレスを感じる人もいるでしょう。そこで定期的に相談する機会を設け、自己発信をしやすくするのです。

適切に相談できる力を持つことも、障害者が生きやすくなるためには必要なスキルといえるでしょう。


映画館の対応について訴えた車いすユーザーはわがままなのか?

「では、映画館に苦情を申し立てた車いすユーザーは、自分でできることを何もしていないから、合理的配慮ではなくわがままに該当するのではないか?」と疑問に思う方もいるかもしれません。

実際、車いすユーザーに寄せられた非難の声の中には「車いす席があるなら、そこを使わないのはわがままだ」と声もありました。

しかし正直な所、身体的には頑健なわたしからしても「こんなところに車いす席を作っても、見え辛いのでは?」と疑問に思うような映画館は時々見受けられます。それに、たいてい車いす席は1か所しかありません。

たとえばアメリカの映画館だと、スクリーンの前の最前列、1番後ろの席、だいたい真ん中あたり……と席にも選択肢を設けているところが圧倒的多数を占めます。

複数の席が設けられている理由は極めて単純です。「障害者だって、映画を好きな席で見たい」というニーズに応えているからなのです。

映画館の話をもどしましょう。個人的には、もし件のインフルエンサーが「いつでもどこでも、自分をかついで席まで連れていって欲しい」という配慮を求めているのであれば、それはちょっといきすぎた要望だと考えます。

いくらなんでも映画館のスタッフ側に負担がかかりすぎますし、それ以前に介護経験のないスタッフに、移乗行為を求めるのは危険でしょう。最悪の場合、落下事故などにもつながりかねません。

落としどころとしては「どんな身体障害者でも、自分で席に乗り移れるような設備を用意する」「車いす席の環境改善をおこなう」といったところではないでしょうか。

実際「人の手を借りてばかりなのは気が引けるので、人に頼らないように補助してくれるような設備があればいいのに」という身体障害者からの要望は、複数上がっていました。

「それでは企業側に一方的に負担がかかるだけではないか」と異議を唱える方もいるかも知れません。確かに短期的な視点では、企業側に改装費用という多額の出費が発生します。

しかし中長期的な目線を持つと、改装が上手くいけば新たに車いすユーザーという「新顧客層」を企業は獲得でき、将来の収益の増加につなげることも可能になるのです。

そうなれば企業側にも車いすユーザー側にも利点が発生すると思うのですが、みなさんはどう思いますか?


【合理的配慮とわがままの違いは?10の実例を交えてポイントを解説】

【合理的配慮がよく分かる 考え方と具体例】


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Written by オランプ
長年にわたってうつ病で苦しみながらも病気を隠して働き続け、40歳になる前にやっと病気をオープンにして就労したものの生きることのしんどさや職場でのトラブルは軽減されず。実はうつ病の裏に隠れていたものはADHDであり、更に気が付けばうつ病も病名が双極性障害に変化。これだけ色々発覚したので、そろそろ一周回って面白い才能の1つでも発見されないかなーと思っているお気楽なアラフォー。
実は自分自身をモデルにして小説を書いてみたいけど勇気がない。

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