podcast みみ騒ぎに恋してる Season2 Ep,1 [夏の終わり / 森山直太朗]
今回からこの番組はSpotifyで視聴できるようになりました!
文字コンテンツとしてもお楽しみいただけるよう、上村翔平作の短編小説をnoteに投稿していこうと思います。
テーマとなる曲を聴きながら、小説を読むのもいいですね。
引き続き、皆様に楽しんでいただけるように、色々と取り組んでいきたいと思います。ご意見ご感想、そして妄想リクエストは#ミミコイを付けてTwitterに投稿してください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
九州は晩夏、標高600メートルを越える高原。
まだまだジットリと肌に絡みつく生温い風もチエコにとって昔ほど嫌に感じなくなってきた。
チエコは生涯をこの町で過ごしてきた、その為か言葉の訛りがこの町一番だった。
『チーン』『南無阿弥陀〜南無阿弥陀〜』
『お父さん、今年も夏が終わるばい。ほんなこてどんどん暑くなるもんね〜そっちはどきゃんかい?涼しか〜?』
チエコは御年96歳を迎えた。
節目節目に顔を見せに帰ってくる"ひ孫"とお話をするのが何よりの楽しみだ。
チエコは日課である"夕食前の散歩"に出かけた。
まだまだ元気、杖要らず。
散歩のルートは3パターンある。
今日は"パターン1"夕焼けに煌めく小川沿いの畦道を歩く事にした。
水芭蕉揺れる畦道 肩並べ夢を紡いだ
流れゆく時に 笹舟を浮かべ
『あん時はまだ涼しかったけんねぇ、水芭蕉が夏に咲いとったもんね〜。懐かしかねぇ。』
空を仰いで一休み。
そしてまた歩き出した。
焼け落ちた夏の恋唄 忘れじの人は泡沫
空は夕暮れ
夫であるセンキチと出逢ったのは17歳のちょうど今頃。
当時にしては珍しい恋愛結婚で幸せな事に4人の子供に恵まれた。
第二次世界大戦末期、時代は激動。
徴兵の手紙が20歳を迎えたセンキチに届いたのは幸せの真っ只中だった。
鹿児島の知覧特攻基地へと派遣された。
免れる術は無い。
前夜、2人は手を離さずに床に付いた。
山奥に住んでいた為、戦火を免れたチエコ一家。
当時の状況はラジオ放送で聞くしかなかった。
終戦放送が終わり、センキチは帰ってこないと分かっていても、毎日毎日、駅で待ち続けた。
途方に暮れたまま 降り止まぬ雨の中
貴方を待っていた 人影のない駅で
少し荒くなった息を整え、さらに畦道を行くチエコ。
すぅーっと、柔らかい秋の風が吹いた。
有明海を抜けて、街を抜けて、チエコの元に届いた風。
センキチの未だに若くハツラツとした声がチエコの事を呼んだような気がした。
夏の終わり 夏の終わりには ただ貴方に会いたくなるの
いつかと同じ風吹き抜けるから
家から500メートルほど進んだ先にある小川の終点。
いつもは此処で折り返すチエコだが、今日は何故だか足が軽い。
ひ孫達がくれた健康のお守りをポケットに忍ばせてきたからだろうか。
軽い傾斜の丘の先に見える記念碑まで歩く事にした。
丘の上から街が見える、遠くに遠くにかすかに有明海が見える。
夕陽は既に沈んでいたが、代わりに幻想的な淡いピンクのグラデーション、見上げると一番星がネイビーのキャンバスに点灯した。
追憶は人の心の 傷口に深く染み入り
霞立つ野辺に 夏草は茂り
あれからどれだけの時が 徒に過ぎただろうか
せせらぎのように
誰かが言いかけた 言葉寄せ集めても
誰もが忘れゆく 夏の日は帰らない
哀しい、寂しいわけでもないのにチエコの瞳から一粒の涙がこぼれ落ちた。
お守りとは逆のポケットに忍ばせていた手ぬぐいでさっと一拭き。
すっかり暗くなる前にチエコは家路へと急いだ。
山奥の町には街灯も少ない。
年老いてからこの時間に外を出歩くのは久しぶりだ。
真っ暗な小川沿いの畦道、チエコのことを心配するかのように蛍が道を照らしてくれた。
『まぁだ蛍がおったとね〜。久しぶり観たばい。綺麗かね〜。ありがとうね〜。』
微かに風鈴の音が聞こえる。
耳が遠くなってからは聞こえづらくなった高音の響きに心が震えた。
『お父さんが鳴らしてくれたとかいな。ありがとうね。もうすぐ帰りつくけんね。』
夏の祈り 夏の祈りは 妙なる蛍火の調べ
風が揺らした 風鈴の響き
あなたが待つ家はもうすぐそこだ。
(ガラガラガラガラ〜)
『あーいた、歩いた歩いた。疲れたばい。ただいま。』