岩手・宮古 【シネマ・デ・アエル】での『百姓の百の声』上映会
映画『百姓の百の声』にとって初めての、お客様から鑑賞料金をいただいての上映会―――その舞台は三陸・宮古で、200年前に建てられた商家「東屋」の蔵の中。【シネマ・デ・アエル】(シネマで出逢える)という独創的な上映の場だった。
2022年10月1日(土)~2日(日)の2日間。
優秀ドキュメンタリー特集として、4作品上映の中の1本としてプログラムされた。
僕と宮古との出会いは『ひめゆり』の時から。
質の高い上映プログラムと、日本で唯一の市民出資の映画館として、全国的にも知られた「みやこシネマリーン」で上映していただき、たくさんの皆さんにご覧いただいた。しかしシネマリーンは2016年9月に閉館。小さな町で常設のミニシアターを維持するのは困難だった。
でも宮古の街には映画の灯は消えなかった。
毎日の上映はかなわなくても、定期的に上映活動を行う――――そのプログラムは、宮古映画生協のみならず市民が「これをやりたい」をセレクトする。こうして生まれたのが、【シネマ・デ・アエル】。「みやこシネマリーン」が映画上映を通して育んできた文化を引き継ぎ、それをさらに拡大することを目指した。
【シネマ・デ・アエル】の詳細は公式HPを。
https://cinemadeaeru.wixsite.com/cinema-de-aeru
光栄なことに、【シネマ・デ・アエル】として再出発したとき最初に上映した作品が、僕の劇場公開2作目『森聞き』だった。シネマ・デ・アエルの上映場となっている蔵(東屋)のスペースには、歴代の上映作品のポスターがずらりと貼られている―――その端っこにある小さなチラシ―――『森聞き』だ!初回はまだポスターは作らなかったのだという。
こうして記憶として形に残っていることは、僕にとって、とても嬉しいことだった。
シネマ・デ・アエルの方針として、上映前には映画を推薦した人の前説がある。今回の『百姓の百の声』を始めとする一連のドキュメンタリー映画特集の発起人は宮古映画生協の櫛桁一則さん(みやこシネマリーンの元支配人)だったが、櫛桁さんは前日にコロナに感染し、シネマ・デ・アエル代表の有坂民夫さんが前説、そしてトークのホストを務めてくれた。
上映後のトークの時間は、僕が話すというより、お客様に語っていただくようにした。有坂さんがうまく司会をし、マイクを回してくれた。
「百姓のみなさんの深い知識に驚いた」、「物事を語るときの豊かで的確な表現が素晴らしかった」、「共有し高めあう知の考えに共感した」、「農家に限らずグローバルに企業中心で進んでいくことの危うさをあらためて考えさせられた」などなど様々な意見をいただいた。
その中で、まとまった感想を2つ、ご紹介したい。
ひとつは、21歳の佐藤快威君。盛岡出身で、地域おこし協力隊員として九戸村に赴任し、農業を学んでいる。佐藤君からメッセンジャーで、映画を観たあとの熱い感想が、僕に届いたんだ。
21歳の佐藤君からのメッセージに、僕は飛び上がるくらい嬉しくなった。だって、いつも「この作品を若い人に観てもらいたいなあ」と願いながらも、実際のところ、若い人に観てもらうのは非情に難しいからだ。でも、【シネマ・デ・アエル】では、そんな奇跡のようなことが起こった。佐藤君は「映画の上映に興味ある」ということで、宮古映画生協が主催して行った上映講座に参加して、『百姓の百の声』のことを知ったという。佐藤君が言うには、「20代半ばの世代、つまり僕より少し上の世代と違って、僕たち20代前半は、デジタルよりアナログの上映に興味ある人が多い」のだとか!
そんな佐藤君に相談して、文章を少し短く編集して、映画『百姓の百の声』の公式HPにも掲載させてもらうことにした。
次に紹介するのは、気仙沼で学習塾ホライズンを主宰している小野寺充太さんの感想。
「教育とかまちづくりにも共通して、自分ごととして感じられた」というのは、とてもありがたい感想だ。
宮古の【シネマ・デ・アエル】の上映は、お客様の数はすごく多かったというわけではない。
でも、僕自身は、小さな小さな上映会を通して育った。お客さんの数―――数字が大事なのではないことは、身にしみてわかっている。
というのも、僕は大学生の頃、日本の農山漁村の民俗を記録した16ミリフィルムを、むさぼるように観た。それは、当時新宿の小さな事務所で、毎週金曜日の夜に開かれていた「アチック・フォーラム(屋根裏の広場)」という上映会―――。
そこでは、僕の師匠である姫田忠義監督が主宰する民族文化映像研究所(通称・民映研)の製作した記録映画の数々を、毎週 夜7時から上映していた。そして映画が終わったら、お茶を飲みながら語り合うのだった。
お客さんの数は平均7~8人。少ないときは3人、多いときは十数人だった。濃密な時間だった。監督や制作スタッフが撮影現場での体験を語り、観に来た僕たちは自由に質問をする。あの場がなかったら、僕は今のようにドキュメンタリーを作っていることはなかっただろう。
映画上映はお客様の多寡ではない、どれだけ濃密な時間を共に過ごすことができるかが大事なのだと、アチック・フォーラムを体験した僕は、心底そう思う。このアチックフォーラムからは多彩な人材が育っていった。
きっと、これからの時代、ミニシアターよりも小さな、【シネマ・デ・アエル】のような上映の場が大切になってくるのだろう。【シネマ・デ・アエル】のような場が全国の町や村に生まれてくるように思う。
デジタルでは得られない、超アナログな映画の共有体験ができる場が、もっともっと求められるようになるのだいう予感がする。
そんなようなことを、2日間の上映を共に過ごした伊勢真一監督とも語り合った。
10月1日(土)~2日(日)の、『百姓の百の声』の初めての一般観客に向けての上映会
―――いわば「ワールド・プレミア上映」。
【シネマ・デ・アエル】代表の有坂さんから、こんなメッセージをいただいた。
観た方からも「百の声」を引き出す力をもった映画―――有坂さんの助言を大切に、これからの上映の場を育んでいきたい。
宮古での上映会を終えて、僕は、NHK時代の同期で、大好きなドキュメンタリー映画監督でもある澄川嘉彦君と、タイマグラを訪ねた。
タイマグラは、澄川君が大学を卒業してNHKに入局後にすぐ出会ってしまった村であり、彼がNHKを退職してまで移住し撮り続けた名作『タイマグラばあちゃん』(2004年)、『大きな家』(2009年)の舞台でもある。
タイマグラは、昭和20年までは原生林だった。終戦後の食糧難のさなか、約10キロ下流の集落から移住してきた5家族によって開墾された。当時は、売るために農業を営むのではなく、生きるために大地を耕した。
生きるために大地を耕す―――そんなことが必要になる日が、ひょっとしたらまた来るのではないか、そんなことを思いながら、タイマグラから遠野へと抜ける林道を通り、山を下る。その途中には、国策によって大規模な牧場開発が行われ、たくさんの農家が借金まみれになって辛酸をなめた牧場が広がっていた。
映画『百姓の百の声』公式HP
https://www.100sho.info/