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ふたつのマーク・マンダース展を巡ってー『マーク・マンダースの不在』と『ダブル・サイレント』
先日、駆け込みで東京都現代美術館の『マーク・マンダースの不在』を鑑賞してきた(なんと最終日!)。
マンダースの彫刻作品は昨年、金沢21世紀美術館『ダブルサイレント』での展示が印象的だったこと、そして今回は個展ということで前回のそれとぜひ見比べてみようという気持ちで会場に足を運んだ。
『ダブルサイレント』ではボレマンスの現代的な曖昧さと矛盾に満ちたスピーチレスな世界観の中で、マンダースの根源的に人間が抱える抑圧や不完全性を訴えかける静かな語りが水紋のように調和しながら広がっていく無音の共鳴を見事に演出していたと感じたが、今回のマンダース展は全く違う印象を持った。
まず最初に出会う大きな作品は、机にワイヤーで固定された彫刻作品「マインド・スタディ(2010-2011)」。
2本のワイヤーで物理的に吊るされるこの欠損した彫刻は、確かに危うい。ワイヤーのテンションも石膏の重りと縄だけ、小学生の工作のような紙一重の仕組みで保たれている。
しかし紙一重とは、調和でもある。この「マインド・スタディ」が讃えているのも慄然とした緊張感ではなく、むしろ三昧や定、つまり禅の世界に通じるような不思議な静謐さすらある。
マンダースが訴える、というか醸し出す静謐とは、答えがないものだろう。
しかし、「作品が置かれた家」つまり展示物全てが1つインスタレーションなのだという意匠は十分に感じ取れたし、金沢21世紀美術館での『ダブルサイレンス』とは打って変わって、マンダースの幅広い作家性を感じることができた。
『ダブルサイレンス』ではどうしてもボレマンスの批判性に引っ張られてしまっていた印象があったのだ。しかし、抑圧の中に感じる静かなあたたかさというのも、マンダースの魅力なのだろうと感じた。
また、今回は前回より広い空間で1つ1つの作品と寛ぎながら距離感を確かめることができたし、展示空間が半透明のビニールシートで区切られていたこともオブラートのように優しく包まれているような安心感があった。そのシートの向こうに感じる誰かの「影」でさえ、マンダースの不在の残滓に感じる面白さがあった。
一方で、この「黄色い縦のコンポジション」のシリーズは、先ほどの「マインド・スタディ」で触れた「調和」の裏腹にある「調和への擬態」、そして「不協和」という三すくみの葛藤が鋭く圧縮されているように感じられる。