#38薬剤師の南 第7話-5 ヒーローの南(小説)

 「せっかく妹さんが来たんだから早く帰りなさい」と皆が口をそろえて言うので、仕事は残ってはいたがその言葉に甘えて定時で仕事をあがることにした。アパートに帰ると、薫は部屋の前でペットボトルの水を飲みながら待っていた。

 シャワーを浴びたらすぐに夕飯。帰る途中でスーパーで買った刺身、そしてトレーにめいいっぱいに盛られたもずくを薫の目の前に出してやった。このようなものは、東京ではめったにお目にかからないであろう。

「うわ。もずく、すごい」
 もずくの分量に反比例するかのように、薫の語彙が減る。

「これを専用の醤油で食べるとおいしいのよ」

「ほうほう」

 もずくを取り分け、カクテルとジュースで乾杯をする。

「で、どうなの? 仕事のほうは」
 と私は一口飲んだ後に訊ねた。

「何もなし。レッスンばっかりでどんどんお金が無くなってくよ」

「まあ、そんなに甘くないだろうからね。ただでさえギリギリでオーディションに受かったんだから。ダメだったらさっさと辞めな」

「でも、まだ始まったばかり。勝負はこれから! 私はそう思ってやってるよ」

「悪い大人にお金ばっかり搾取されてお終いにならなきゃいいけどね」

「もう、お姉は私を応援する気あるの?」

 薫は視線を食卓から私の机の本棚に移し、そこから一冊の本を取った。

「ほらこれ、倫理! お姉は倫理の勉強が足りない! 人の気持ちがわかってない!」

 薫が手に取ったのは、大学時代に使った医療倫理についての教科書だった。仕事をする上ではもちろん大事なのだが、実際の仕事をつつがなくこなすには、やはり薬や疾患に直接関わる書物を読み返すことを優先せざるを得ない。だから今現在のこの本の必要性は低く、そろそろ実家に送ってしまおうかと思っていたところだった。

 薫は本の付箋が貼りっぱなしになっていたページを開く。すると、

「これ、すごくイイこと書いてあるじゃん! お姉、これだよ!」

※この小説はフィクションです。実在する人物、団体等とは一切関係ありません。また、作中の医療行為等は個人によって適用が異なります。

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