#25薬剤師の南 第5話-2 spica de trillion[小編] (小説)
「桃、ベタとトーンの確認はいかがでござるか?」
「ござる言うな。次言ったらマジで引っ叩く。それは特に問題なし。さすがDTPオペレーター、仕事が正確。いや、デザイナーだっけ?」
「名目上はデザイナーのほうだけど、ほぼ兼任。ってかそんなことはどうでもいいとして、これで入稿しちゃっていい?」
「よろしく。早期割引の確保は大事」
「オーケー。次に依吹、本のサンプルの準備はどう?」
「全部終わってる。紹介文も書いてあるから、ドライブに今入れるね」
パソコンのデスクトップにあったフォルダをオンラインストレージにさっと放り込む。
「来た来た……これも問題なさそうだね、じゃあこれでアイアートに上げちゃって」
「了解」
「問題といえば」
桃が口をはさむ。
「ベタとトーン『は』問題なかったよ。問題は本の内容。自分でプロット作っておいてアレだけどさ、やっぱ三人で多数決とってマシ×ドミに決めたのはちょっと浅はかだったんじゃない?」
マシは『マシアス』、ドミは『ドミトリ』。この二人は『ロイヤル・クラフツ』というスマホRPGの男性騎士のキャラである。つまり私達が作っているのは、身も蓋もない表現をすれば……BL本だ。
「ちょっと、今さら中身をひっくり返そうっていうの!? 次の本のプロットはドミ×マシでも何でも桃の好きにしていいって言ってるんだから今回は我慢しなさい!」
「そういうわけじゃなくて、マシ×ドミで書こうとすると私の腕に力が入らなくなって……」
桃がわざとらしく右腕を画面に向けてぷるぷると震えさせる。
「依吹からも桃に何か言ってあげて」
「……問《とい》。次に挙げる食中毒の病原体の中で『手に力が入らなくなる』症状が出る可能性が最も高いと予想されるものを答えよ。ノロウイルス、カンピロバクター、ウェルシュ菌、黄色ブドウ球菌」
「カンピロバクター。原因はギラン・バレー症候群の発症」
「正解」
「愚問。ボツリヌス菌もどんと来い」
「私を放って試験勉強始めないでよ!」
と、打ち合わせを差し置いて話が逸れることもあったが、もとより最終段階の打ち合わせだったせいもあって、程なくして話はつつがなくまとまった。
「それにしても、いきなり沖縄だなんて驚いたよ。怖くなかったの?」
「話をさせてもらって働きやすそうな人達だなっていう感じはあったからね」
「あの人達ね。確かにすごく印象は良かったよ。ただ私は沖縄まで行って働く気にはなれなかったけど」
私が大学生だったころの学内の就職説明会に来ていたのは社長と當真さんの二人で、私と一緒にブースを回っていた桃は二人と面識があるのだ。
「それもそうなんだけどさ、いわゆる村八分とかあったりしない? お前の所の郵便受けには町内会の案内を入れてやらないぞ……とか」
「今のところそういうのはないよ」
「それ、私も心配。だから私は自分がよく知らない所には住みたくないなと思う」と、桃。
「……なんか不安になってきた。ハブられないよう気を付けるよ」
そんなことが起きてしまったら私一人ではどうにもならないかもしれないが。
ひとしきり喋り終わった私達は遅くならないうちに通話を切った。私や美冬は明日も仕事で、桃は勉強の日々。将来はこの活動もいつまで続けられるかはわからない。こうやって一つの目標に向かっていけることは幸せなことなのだろう。
ヘッドセットを外すと、一人暮らしの部屋の中のしんとした空気が私にのしかかってくる。少し物悲しさを感じた私は気持ちを切り替えようと、本のサンプルのアップロードという任務に取り掛かった。
アップロードに使うのはイラストの掲載に強く、多くの同人作家が利用している『アイアート』というサイトだ。そこに私はサークル名義のアカウントから、さっきのデータを一式アップロードした。
「……よし、終わり」
作業に時間はかからなかった。椅子に座ったまま伸びをして、だらんと天井を仰ぎ見る。
部屋は再度静寂さを取り戻していた。アナログ時計でもあれば秒針の音でも賑やかしになるのだけれど、この部屋にはデジタル時計しかない。こんな音のない夜には、私はよく『あいつら』のことを想像して遊ぶ――
「よっ」
桂皮が桃色の髪を私の顔に垂らしながら逆さまに覗きこむ。
釣藤鈎、芍薬、麦門冬もすぐ近くに立っていた。
※この小説はフィクションです。実在する人物、団体等とは一切関係ありません。また、作中の医療行為等は個人によって適用が異なります。
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