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「定義する」ということは,「∃という命題を主張する」ということであり,「存在を認める」ということ.

例えば「一つの角の大きさが90°の三角形を直角三角形という」と言われて納得しない人はいないだろう.
一方,「一つの角の大きさが180°の三角形を直線三角形という」と言われたら,は?となるだろう.

この違いはなんだろうか.
答えは簡単で,直角三角形は存在するが直線三角形は存在しないということだ.


定義というのは,実はその定義対象が存在するという命題を含意する.
そうでなければナンセンスである.

ゆえに,定義されたものは存在することが示されたものであるから,その系において市民権を得る.
存在することが認められるのである.


「腑に落とす」という作業においては,なんらかの定義に触れる際,その定義対象が確かに存在するかを調べる作業が重要である.
なぜなら,自分でその存在を確かめないということは,「定義されているのだから存在しているのだろう」という理解にすぎず,これは受動的な姿勢であり能動的な「腑に落とす」とは相反するからである.


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