明の13「正しい街」(30)
私は変わらず緑を見ていた。この色に何らかの変化が起こるのを、佇んで待っていたのだ。鏡の中でも雨は降った。相変わらず、強弱に定まりがなかった。次第に私は鬱屈を覚えだした。こらえきれず気をそらそうと手のひらを見れば、それはサイコロでできていた。私の側には、一の赤い点が向いている。裏返してみると、それもすべて赤い点だった。どうも二層構造らしい。手を振ってみると、簡単に崩れてサイコロがぽろぽろと落ちて行った。一つが鏡の外へ踊り出た。落ちたサイコロはまた一の目が上になっていた。拾いに歩みを進めていった。鏡に体が当たり、自分が幽閉されていることを知った。ふと上を見上げたが、ずっと終わりのない空があった。すると自分に脱出の手段がないことに気づき、悲嘆した私は叫びの限りを尽くした。
鏡を蹴った。叩いた。肩で突進した。
四苦八苦して漸く鏡が割れた。脱出した私は暗闇の中にいた。先ほどまで落ち着きのなかった雨は、霧雨に変わっていた。すると私はさやかな安堵を得て、訪れたまどろみに体を委ねた。……
博多駅に戻っていた。手にはナイフがあり、貫一が私の腕を握っていた。顔に温度のない液体がかかり、触ってみると赤かった。ナイフは私の支配を逃れ、貫一の言いなりだったが、それは確実に彼の首を水平に進んでいった。
「何をためらうことがあるか、やれッ」
貫一が叫んだ。貫一は私のナイフだけを支配していたのではない。私の肉体すべてを従えていたのだ。私は力を込めた。貫一は途中まで明らかに何かの言葉を口にしていたが、ナイフが食道を通過してから言葉ではないものを口にしていた。代わりに、ぶくぶくと赤い泡が口から絶えずに生まれていた。そしてナイフは止まらなかったし、腕を握る彼の力も一定のままだった。にわかに彼の頭が落ちた。それは目を閉じ、口はささやかに開かれていた。やっと楽になった、と思ったときだった。それはだしぬけにやって来た。
私はバランスを崩して横に倒れたのだ。その衝撃は、私を完全に覚醒させ、事態を急速に理解していった。私はどうも、彼に腕を握られ、ナイフで彼の首を両断させられたらしい。私が倒れたのは、慣性によるものではなかった。倒れた私は頭部に痛みを覚えていた。彼の拳だったのだ。地面に横たわる、頭部を失った貫一は、手足をじたばたとさせていた。彼は、頭部を失った後、私を殴ったのだった。首から上のない鶏が走り出す原理がどういうものかを理解しているわけではないが、私はそれは単に神経の誤ったはたらきによるものだと思う。それと、彼の殴打には別の原理があるように私は思えてならなかった。脳ではなく、魂が彼の肉体を動かしたと考えるにふさわしい事態だった。