指揮命令系統=序列ではない!?
今日は、みなさんも一度は聞いたことがある”指揮命令系統”について考えたいと思います。
仕事をする前に、ちゃんと自分が理解できているかどうか。
読み進めながら考えてみてください🙂
世間一般的なお話ですが、
どんな会社や組織でも、ほとんどの場合上司と部下というようなタテの関係があると思います。
が!
僕は、「上司=尊敬するもの」なんて一度も思ったことありません。
年上だからといって、先輩だからといって尊敬に値しない人はたくさんいます笑
自我の強い破天荒な奴か?と思うかもしれませんが、そうではなく笑
僕の個人的な想像ですが、
多くの人は指揮命令系統についてこのように考えていらっしゃるのではないでしょうか?
”指揮命令系統において上にいる人ほど偉い。
だから上の人間(上司・先輩・役職者etc...)は、その下に対して指示を出すことができる”
確かに間違いではないと思うのですが、僕の場合は少し違うイメージを持っていて、指揮命令系統を人体構造に置き換えています。
体の動きに関してほとんどの動きをコントロールしている脳を元に、神経を伝って信号が送られ、そのを受けた体の各所が動きます。
臓器もまた、それぞれが生命の維持という一つの目的のために常に連動しています。
僕は人体に無駄なものはないと思っています。
スプーンを使って食事をするという動作に対して、各部分の働きに優劣をつけることができるでしょうか?
脳だけがあっても、肩の神経だけがあっても、指だけがあっても目的は達成できません。
人体の生理的現象においても同様です。栄養分の吸収に1つの臓器では不十分ですよね。
つまり、指揮命令系統というのは、上から下へ順番に上下関係や人間の価値に関して序列を表すものではなく、
ただ"業務的指示が流れる順番"なだけであるということです。
偉いから、上だから人に指図することができるのではなくて、ただ業務的指示を出す役割を担っているだけなんです。
パッとイメージがつかないと思いますので、少し話を変えて説明してみます。
自衛隊では、「敬礼」というものがあります。
一般的に敬礼と聞くと、「部下が上司に対して服従を示すもの」と言うあると思いイメージがあると思いますが、実は違うんです。
敬礼と言うのは、その人の職責に対して敬意を示すものであり、人格に対して敬意を示すものではないのです。
これに関してはしっかりと自衛隊の規則の中にもしっかり明示されています。
これが、大きなポイントです。
「階級が、役職があるから、ポジションが上だから偉い」というわけではなくて、役職者であろうが幹部であろうが、皆1つの目的のために動いているのです。
自衛隊であれば、『日本の平和と独立・国民の生命と財産を守るため』ですが、あなたの組織では、その目的はなんでしょうか?
「階級」と言うのは、上下関係とも取れますが、本質はその職務と、それに与えられた責任です。
そこを勘違いしてしまうと、階級や上下関係に満足してふんぞり返っているただの傲慢な人になってしまいます。
”偉い”というイメージがついた自分が好きなんですね笑
もちろん上のポジションにいれば、大きなお金を動かすこともあれば、会社の名運を分ける意思決定をするなどのように、職責も大きくなるでしょう。
誰かに指示を出すポジションであれば、指示や命令を与えなければならないときがありますし、それが仕事でもあるので、それ自体は何も悪いことではありません。
しかし、だからといって敬われるというわけではありませんし、敬われるべきというようなこともありません。
大切なのは、指示や命令を出す側の
言動1つひとつに、相手に対する敬意が伴っているかどうかです。
なぜなら、誰にでも与えられた使命や職責があり、目的達成のために職務を遂行しているのであれば、階級やポジションに関係なく平等に、敬意が払われる必要があるからです。
基本的に、指示・命令を出す側に敬意が伴えば、受け取る側にも自然と敬意が伴いますから。
指揮命令系統などと聞くと、どうしても上下関係をイメージしがちですが、実際に意味しているのは
ただ指示が流れる順番と各ポジションの役割を定めているだけです。
先ほど人体の例で述べたとおり、組織としての業務遂行も同様で、1つでもそのポジションが欠けたら意味がありません。
(辞めたら雇えばいい等の考えは置いておきます。)
仕事をする上で忘れてはいけないことは、自分を支えてくれている人が自分の知らないところでたくさんいるということ。
それと同時に、その人々に対して、心からの感謝を忘れてはいけないということ。
これは仕事だけでなくスポーツにおいても同じだと思います。
サッカーなどのチームプレーにおいて、完全に1人の力だけで得点し、ゲームに勝利することは現実的ではありません。
11人それぞれの役割があって、皆がそれぞれに懸命に走り、体をぶつけ合い1つのゴールを追いかけます。
それはベンチにいる選手やスタンドにいる選手も同じです。
ベンチからは、ピッチの外にいるからこそ見える全体像をもとにピッチ上に声をかけ、スタンドからは「1人じゃない、俺もここにいるぞ」と声を枯らして声援を送ります。
一人きりで成し得られるものというのは、そう大きくはないのです。
だからこそ、得点が入った時には全員で喜びますし、ピッチでプレーした選手は試合後にサポーターに必ず挨拶に行きます。
皆さんはどうでしょうか?
得点した直後はアシストしてくれた選手に、試合終了後は、スタンドから声を枯らして声援を送ってくれた選手に駆け寄っていられていますか?
駆け寄ってもらえた側の気持ちは、計り知れないほど「頑張って良かった」とやりがいを感じ、より一層一体感が組織全体に生まれす。
仕事でもスポーツでも、自分で気付けないところで、必死に支えてくれている人の存在を忘れてはなりません。
宿泊業において、お客様からの「ありがとう」というのは、自分の仕事にやりがいを感じる1つの大きな瞬間です。
ですがそれと同様に、同僚から「ありがとう、君がいてくれて助かった。」と言われたときにも、自分の居場所を見つけたような、また違った大きな喜びがあります。
仕事って本当に、お金やお客様のためだけにするものでしょうか?
一緒に働く仲間のために働ける環境は、何よりも大切だと僕は思っています。
敬われるのは、信頼を勝ち取るのは、常に感謝を忘れないことから始まります。
それでいて、「敬う」という姿勢に下から上というベクトルはありません。相互であり、平等であるべきだと思います。
敬意を忘れ、自分の富や名誉に目を奪われたとき、大きく歯車が狂ってしまうのでしょうね。
上司も部下も関係ない、お互いが同じ目的に向かって進んでいる。
そしてそれぞれが、必要とされる果たすべき役割を果たすために、懸命に努力している。
だからこそ、お互いにその職責に対して敬意を払い、理解をしようとする。
上司も部下も、そんな心構えを常に保つことができれば、俗に言う”上下関係”などの枠を超えて自由な議論ができるようになり、皆が自分の意思や意見を持って仕事に取り組める空気が自然と生まれ、組織の活性化に繋がるのではないでしょうか。
組織の1人ひとりが、その役割を認められ、理解され、敬意を払われていると感じられるとき、業務遂行能力が極めて高い指揮命令系統が完成し、素敵なチームになると思います。
指揮命令系統は、序列なんかではありません。
組織として目的を達成するために与えられた、1人ひとりの立派な役割を示しているものであると思います。
今回はここまで!
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!
あくまでも個人としての意見ですので、ご承知ください!笑