多役は廃れていくのか
ちょっとおもしろく提起してみました。
答えは先に伝えておきます。
「廃れない」です。
ただし、いわゆる頭を使ったGoodGameではなく
パーティーゲームとしてのわちゃわちゃなんかやった!みたいなゲームが増えていきます。
多役の特性
では、こういったパーティーゲームとしての側面がなぜ強くなっていくのか、特性を話したうえで、述べていきます。
複雑性
多役って複雑なんです。
ある役がこうした結果、別の人が襲撃される。
このアクションの結果、別のアクションが引き起こされる
これが多役の特性ですが、複雑な現象が起きると
直面した人間は「面白い」と感じます。
ただ、ここからが分岐で
現状のプレイヤーの多くが、この直面した事態に対して
「面白い」でストップします。
なぜ、こうなったのか
なぜ、起きたのか
つまり、現状はどうなっているのか
これが理解できる人間が減少傾向にあります。
従って、多役レギュに対する直面の仕方が
「なにやら色々面白いことが起きるレギュレーション」
となっていくでしょう。
自由性
多役は自由です。
これは、レギュレーションの中でやる人のアクションが自由
という意味ではなく
組み方、役の作り方が自由という意味です。
レギュレーションをくみ上げる側に回るとわかりますが
村のバランス、狼のバランス、狐のバランスをうまいこととることに注力することが多いのですが
多役では、何の役を入れても、作ってもいいことから、大きな自由度があります。
この自由性が損なわれない限り、多役は面白いことが起きるレギュレーションとして残るでしょう。
プレイヤーの質の変化への対応
ここでは、どちらかというと、プレイヤー視点ではなく、多役という存在の対応についてです。
パズルプレイヤーへの対応
不要です。
パズルプレイヤーというのは、要するに
「何が起きたか」を「何のパターンがあるか」のピースに当てはめて
「これが起きている」とはめていくことで、現状の生存者に対して生存している役職を当てはめていくことを指します。
これは、現行でもそうであり、今後も変わる必要はない内容ですので、問題ありません。
ア式系プレイヤーへの対応
メインです。
「生存者」へ目を向け、襲撃による死体のパズルを行「え」ないプレイヤーへの対応です。
(本来は)プレイヤーが対応できれば良いのですが、それも叶わず。
故に、多役はパーティー性を追求し、色々な死因でのプレイヤー数の減少を目論むゲームが多数になればなるほど廃れないでしょう。
そして、一方で、そういったパズル技術を追求する場合
プレイヤーそのものを厳選しなくてはいけなくなるでしょう。
大多数のプレイヤーがどうなっているか
考え「れ」ないプレイヤーの増加
悲しいけど、現状です。
噛み方、盤面の把握、現状の戦力分析、立ち位置
こういったことに対する能力を持っているプレイヤーは減少傾向にあります。
単に私が会ってないだけと言われれば、そうかもしれませんが
複数名、会えば会うほど、そういったプレイヤーに会えていないので
必然分母が増えれど分子が増えない状況です。
そういったことが発生する理由については、別で話すとして
考え「れ」ないプレイヤーの増加は止まらないです。
ア式の傾向が強くなればなるほど、その傾向は止まらないでしょう。
多役に対する苦手意識
こいつが強くなっているんだろうなと思います。
複雑そうに見えるレギュレーション
死体発生原因が複数ある世界
こういった不思議な世界に対しての苦手意識が強いんだろうと思います。
ポーカーに詳しい人で言えば、NLHに慣れている人がPLOとかならやれますが
RUZZ、BADUGIのような、別世界ゲームに入りたがりますか?ということです。
野球で言えば、野球のルールに慣れ親しんでいる人が、クリケットをやりたがりますか?ということです。
要するに、同種っぽい別競技に映ってしまうんです。
ですので、こういった多役系統はア式、2陣営戦に慣れ親しんだ方々は、その殻を壊すことができないのです。
殻を破るプレイヤーの減少
苦言です。ズバッと悪口です。
多役なんてなんでやらなきゃいけないの?って人が多数だと思います。
そうですね。やる必要はないですね。
でも、基礎身に着けてからものをいってください。
2陣営戦でも、3以上陣営戦でも、やることは「本来」変わらないんです。
連続護衛の有無だけでゲーム性が変わるのに
陣営が増えたら、変わるだろ!
いいえ、違います。
どのゲームでも、ぶれない、変わらない方針
それは、最終日を目指すことです。
もちろん、TLPTのような、劇場型人狼においては
村に潜り込んだ人狼を退治するのに関して、悠長に最終日を目指そうなんて言えません。そういう「設定」ですしね。その世界観の中では、正しいでしょう。
ですが、ゲームです。
ゲームをやる上で、ライトプレイヤーなんだー♪とか
別にうまくなりたくねーし
なーんて言ってる人たちには
じゃあ、まともに君の言う意見を聞き入れてもらえると思うなよ?
です。
創意工夫をしてるんです。伝える技術を身に着けてるんです。
閑話休題。
技術云々を身に着けたいんだというプレイヤーが減少している以上
多役は廃れていくでしょう。また、パーティーゲーム要素を強めていくでしょう。
なぜなら、多役程パズル、思考の速さ、アクションの大事さを競うゲームがないからです。
あらゆるレギュに対応する考え方の施策、実行
これらが鍛えられるのが、多役というレギュだからです。
結論
多役は廃れていかないことを、祈ります。
一部プレイヤーの為の世界と、そこに追いつこうとする向上心あふれるプレイヤーがいる限りは、廃れないと思います。
または、パーティー性を強くして、わいわいするでしょう。
その中に現れる一部プレイヤーが
「思考の速さの訓練にいいんじゃない?」ということに気が付ければ
その人は、色々と進化を遂げられるでしょう。
この記事を読んだ皆さんは、いち早く気付ける機会をもらえたと思えれば
幸いです。
いじょーーー!
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