辛いものを食べる前に考えないといけないこと
みんなからいものが好きですか?僕はすきです。長い間辛いものを食べていないと、どうしても食べたくなります。自分でもよく説明できない、どこか本能的な欲情かもしれません。食べると舌先がピリピリしていて、口に火がついたような気持ちは、痛いながらも快適です。唐辛子を使った料理の匂い立つ香りはたまらなく香ばしくて美味しそうです。どうしてもよだれが垂れますね。
しかし、その禁断のおいしさの代わりに、食べ過ぎると翌朝の腹痛も耐えられないほど痛いかもしれません。からさというものは、世の中のあらゆるものと一緒で、バランスが必要です。どういうバランスだと?辛さは色んな意味でバランスしないといけません。説明していきましょう。
一つ目はシンプルです。料理は基本的に一つの味が強すぎるとまずくなります。唐辛子は奇跡を起こす素材ではありません。多すぎると食べづらいけれど、少なすぎると唐辛子の味がしません。こういう意味で、料理自体のバランスを保たないといけません。唐辛子を入れるとき、そのディッシュのもともとの味を壊さないように気をつけてください。僕は料理が下手くそだから知らんけど。
二つ目は食べる側のバランスです。唐辛子が与えてくれる幸せは儚いものです。しかし、自分の欲情のままにむさぼると翌朝はきっと後悔します。からさは祝福でもあり、呪いでもあります。口は喜べども、肛門は嘆くと誰か(僕)がいいました。よって、バランスは欠かせないものです。僕は料理がダメダメのダメなので、ここで語るバランスはこっちの方です。
まず考えないといけないことは料理のおいしさです。辛い食べ物は意外と美味しい料理にかぎっていません。自分のお尻とお腹を犠牲にして、不味い料理を食べるのは狂人の真似です。合理的な人間として、僕たちはその料理がまず美味しいのかを確かめないといけません。もう注文したら遅すぎるので、できるだけレビューや友達のおすすめを参考にしておいしさを定めましょう。
しかし百聞は一見にしかずというように、他人の評価は自分の一口にもかないません。だって、食べるのは自分だから、おいしさの程度は自分次第です。なので体と唐辛子の美味を秤に掛けることは一口の後です。自分の前に届けてあるよだれを招く辛い料理という恵みにまず敬意をはらって、ゆっくりこぼさないように口元に運びましょう。そして口の中で味を堪能しながら決断をだす。肛門がかかっているからここは大事です。このおいしさは、体を張ってでも味わうべきものなのか?
おっと。これは気をつけないといけませんね。YESとNOじゃなく、その料理のどれだけを食べることを決めるんです。この世に存在する料理の頂点にたつおいしさなら、もちろん平らげてもいいですとも。しかし、世の中はそんなに甘くはありません。そんなにおいしくはありませんなら、自分の内蔵のために半分を残しても誰もせめはしません。辛い泥の味がするなら、Mじゃないかぎり二口目を遠慮することは常識です。こうして、唐辛子の幸せと苦しみのバランスをとります。さっそく次の項目に移りましょう。
おいしさは辛い料理のすべてじゃないです。もちろん値段と材料の希少さもあります。高級激辛料理はなかなか手に入りませんので、今まで食べてきたもっとも美味しい料理じゃなくても、二度と味わえない味かもしれませんから、自分の体に気をつけながらできるだけ食べても大丈夫です。その反面、お値段が安いもので、ありふれた材料でできた料理だったら、自分の内臓にもっと優しくしてもいいですね。これはもちろん、基本を忘れないでおいしさをも考慮しながら考えることです。
最後に考慮すべきことは、自分の余命です。つまり、人生に残っている時間です。人の生きる寿命は平均たった80年です。日数に変換すれば約3万日。宇宙の年齢に比べたらたった一瞬。僕たちが今息をしているという奇跡は、どれだけ希少なのか、どれだけ異常なのかを考えてみましょう。そして地球の色とりどりの生物の中に、からさという幸せを堪能できる一握りの人間に生まれたことに改めて感謝を捧げましょう。この短い人生を無駄にしないようにできるだけ唐辛子の恩恵を味わわないとなりません。しかし、そうであるからこそバランスが必要です。
毎日唐辛子の恩恵を受けようとしたら、逆に腹痛と燃える肛門の苦しみで嫌いになりかねません。唐辛子が料理の一部として働くように、辛さは人生の一部でしかありません。だから間を置いて、秤にかけて、人生の辛さを楽しみましょう。そうしたら、辛いことも辛い料理も一瞬で終わりますから。