誰かの健康は考えていても、自分の健康は考えていなかった
コロナ禍に入る前、休日はいつも家にいないぐらい遊びにばかり出かけていた私ですが、この3年で完全に自粛生活に慣れてしまいました。
はじめは家でじっとしているのが憂鬱で夜散歩に出かけたりしていましたが、いつの間にか家から1歩も出ない日が出てきて「家で過ごすのってこんなに楽で、楽しいんだ!」と思う日が増えました。新たな楽しみを見つけウキウキだった毎日でしたが、のちのちいろいろな代償を生み出すことになるのを知らず……。
言葉が出てこない
久しぶりに友達と遊びに行った日、もちろん「楽しかった」という気持ちが一番でしたが、いままでにあまり感じたことのない疲れがありました。
いままでのようにスラスラ話題が出てこない
話していても、ところどころ単語やいい表現が出てこない
会話しているときの表情が大丈夫か気になる
このような違和感は友達と過ごしているときに感じていましたし、帰宅したときは「夜ご飯を食べに行くだけでも、こんなに体力を使うものなのか」とも思いました。久しぶりに友達と会えて嬉しかった・楽しかった半面、人と話さなくなるとあっという間に言語能力や体力が衰えてしまうことを感じました。
老化に関する内容の本を読んだ際に「人と話す機会が減ると~」といった内容をみてもどこか他人事のように感じていた自分が、まさか「言葉がつまる」「いい表現がみつからない」ことに悩まされるとは思ってもいなかったです。
痛み止めの薬が効かない頭痛
また、コロナ禍に入る前から持っていた片頭痛ですが、この3年で悪化したなと思います。
当初は頻度も少なく痛み止めの薬を飲んで横になればおさまっていたものが、ついに痛み止めの薬が効かなくなり、やっと病院に行きました。医師からはMRIの写真とともに「ストレートネック気味ですね」と言われ、「この3年間の自粛生活とリモートワークが頭痛の原因のひとつだ……」とぞっとしました。
仕事はデスクワークで画面を見ている時間が長く、常に姿勢に気をつけられるわけでもなく……。自粛期間中は動画や配信が暇つぶしになっていたので、仕事以外でも前のめりになって画面をみる姿勢を長時間続けてしまう日々でした。
いまこのときの生活を振り返ると「何時間あの姿勢を続けていたんだ」と思いますし、とりあえず恐ろしすぎます。
「誰かの健康」を考えたら「自分の健康」も考える
日ごろ編集部で企画として「メンタルケア」や「健康」などを考えているのですが、この3年間で自分の身に起きたさまざま異変によって、
「そういえば、自分の健康のこと全然考えてないじゃん!!」
と思うようになりました。
ここに書いたことと、それ以外にもあった体への影響に不安と恐怖を感じたため、ついにジムに通うことに。最初は土日だけだったジムも、最近は早めに仕事があがれそうな平日にも行くぐらいになりました。自粛生活によっていろいろな代償があったものの、運動を生活に取り入れられたのは自粛生活(による恐怖と不安)のおかげだなと思います。
他人事だったのに、いつの間にか当事者に
実は先述したことは、最近考えていた書籍の企画テーマでもありました(一旦没になりましたが……)。
「『誰かのために』を考えられていても『自分のために』を考えられていないと、だんだん自分の心身が弱ってしまう」
企画では「誰かのために役立つもの」と言う視点を大切にしていたのですが、よくよく考えてみると職種に限らず誰にでもいえることだなと思います。「誰かのため」を考えるのであれば、同じぐらい「自分のため」も考えないといけないなと感じた数年でした。
ジムの幽霊会員にならないためにも!(笑)
自分の健康と誰かの健康、両方を考えられる人でありたいなと思います。
(編集部:橋本)
よろしければスキやシェア、フォローをお願いします。これからもぜひ「翔泳社の福祉の本」をチェックしてください!