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近況 2024.7.12

最近かなり落ち込む出来事がいくつかあって、それは個人的なレベルでも社会的なレベルでもなのだけど、でもそういう時でも生活というのはけっこう楽しく回る。
 で、何が楽しいのかといえば、食事とタバコと酒と映画と読書と買い物という平凡極まりないものなのだが、そういう生活の基本が(酒タバコが追加されたと言え)小六くらいからあんまり、というかほとんど変わっていないというのには、じぶんでも結構おどろく。
 休みの日はだいたい、昼過ぎに自転車にのって出かける。ちょっと遠いところにあるブックオフか図書館を目安にして、往復一時間半くらい自転車にのる。で、家に帰ってきたら、ベッドで借りてきた、買ってきた本なり漫画なりを読む。これをもう八年くらいやってるんじゃないだろうか。おどろきである。
 かなり味気ない楽しみである、とは思う。でも自転車にのるのは妙に楽しい。散歩ではいけないし、かといってウェアーとかサングラスを揃えてハンドルを逆手で持ってしまっては意味がない。やっぱり、”速さ”というが大事なんだと思う。ミッシェル・ガン・エレファントとかソニック・ユースとかを聴きたくなるのと、どこか似ている。衝動的というか、サイクリングは形式化されてしまっているし、散歩では遅すぎる。その中間のちょうどいいところに自転車で出かけるというのは存在している気がする。
 八年も続けているのにいっこうに飽きる気配がなくて、たぶんそれはもう完全に習慣化されてしまっているからなのだろう。たぶん、きっと十年後も同じことをしている気がする。ぼくは結構バイトが続かない人間なのだが、こういうふうに完全に習慣化されてしまえば辞めなくても済むのかもしれない。

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レコード屋でバイトをしているのだが、バイト中に見つけたカルロス・クライバーが指揮しているブラームスの交響曲第四番のジャケがカッコよくてストリーミングで聴いてみたら、かなりよくてブックオフで中古のCDを買ってしまった。ストリーミングでは分からないのだけれど、メタリックなインクで印刷されていて実物の方が数倍カッコいい。
 内容はそりゃ名盤中の名盤なので、今さらいいと言うのも恥ずかしいくらいなのだが、おれけっこうブラームス好きかもしれない。いわゆるクラシック的な鼻歌で歌えるようなメロディがないところがいい。心地よく流れていく感じ、と言えばいいのだろうか。こういうことを言うと詳しい人から怒られそうだが、シューゲイズとかアンビエントとかを聴く感じで聴ける気がする。
 あと、最近学校の課題とかで大したことない映像に大仰なクラシックを流す、というのにハマっている。これが個人的には結構ウケるのだが、先生からすると素でクラシックを流していると思われているみたいで少し困る。MADとかミームみたいな思考がじぶんの中に入り込みすぎているんだろうと思うし、そうなるのには先生の世代とのクラシックの距離感の差も感じる。

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Cody・Lee (李)の新しいアルバム『最後の初恋』がよくてずっと聴いている。Cody・Lee (李)はずっとあざといな、チャラいな、シャバいなと思っていたんだけど、なんか今回のアルバムは全体的にしっくりきた。いちばん好きなのは「涙を隠して(Boys Don't Cry)」という曲。半径5メートルの歌詞を歌っていたのが突然、「数十年後先」「数百年後先」にまで飛躍するところにグッとくる。3月に観て、ものすごくよかった清原惟の映画『すべての夜を思いだす』も同じように、生活がふと遠い時間軸と接続されてしまう話だった。社会の不確かな現代において観客にとって共通の何かを描くのなら、社会という横に拡げていくのではなくて、時間という縦に拡げていくことなのかもしれない、とか考えた。


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