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「あなたはフェラーリ」はそそるのか<81/100>
先日、同じイベントに登壇した医師の方がこんな表現を使っていました。
「人間はフェラーリみたいなもの。すごい能力を持っているけど、適切なメンテナンスと純正のオイル、優秀なドライバーがなければ本来の性能を引き出せない」
単純な僕はまんまとこの言葉に乗せられ、僕というフェラーリが全開になるために何が必要か、先生に根掘り葉掘り聞いてしまいました。
その先生はオーソモレキュラーという、主に脳のための栄養的なアプローチを探求しているので、興味がある方はぜひ深ぼってみてほしいところですが、忙しい方のための結論としては「魚を食え」ということかなと思います。(ネアンデルタール人は、現代人と比較して脳の体積が大きかったということがわかっていて、その大きな原因は食べ物の確保に困る当時の生活拠点は海辺に寄っていて、魚介類中心の食生活だったことだそう。)
ですが、僕が今回書きたいと思ったことはこのフェラーリを磨くノウハウではなく、人の行動変容について。
「あなたはフェラーリ」はそそるのか
僕は「あなたはフェラーリ」という言葉でやる気になりました。つまり、そそられました。
なぜかと考えると、僕は才能より努力を信じているからなんじゃないかと。
「あなたはフェラーリ」という言葉が意味するところは、天才信仰の否定ともいえます。誰しもに素晴らしい可能性が秘められていて、それを解き放つことで今よりもっと輝ける。なんだかとっても素敵というか、耳障りが良いです。
願わくば、自分の子供も、あるいは多くの人がこんな風に単純にやる気になって、行動を変えていけたらいいのにと思います。
でも、きっと人間ってそんな単純じゃない。
自由と平等は素晴らしいけど 難しい
人類は時に命をかけて自由と平等を求めてきたわけですし、それは素晴らしいことだと僕も思っています。
しかし一方、「ルサンチマン」という言葉があります。かつて身分制度がはっきりしていた時代は、自分の境遇は生まれた環境で決まっていましたが、平等が謳われる現代においては自分の境遇は自分の行動が決めることになってしまいます。時代は良い方向に前進したはずなのに、自分の至らなさの責任は自分にあることを突きつけられて苦しい気持ちになる。こんな時に人は自分の向上ではなく、社会のせいにしたり、誰かの足を引っ張ってみたりしちゃうわけです。
※ルサンチマンは、人間が自分の不満や無力感を他者に投影し、感情を正当化する心理的な現象。この感情が社会に広がると、不満が新たな対立や不和を生む要因となる。
あなたはフェラーリ、その走りを良くするも悪くするも自分次第、という正しいメッセージで動く人は一握り。だとしたら現代において多くの人の行動を変容させるポイントは何なんでしょう。
社会に行動変容が起きるとしたら
住友生命が展開しているVitalityという保険商品があります。個人の健康的な行動を評価して保険料の優遇が受けられるというユニークなもの。このように社会において望ましいこと(人々が健康になる)と、個人のインセンティブ(保険料が下がって金銭的に得をする)が同じベクトルで揃う、とても良いもののように感じます。
ざっと調べた限りでは、2018年に開始して2021年度に加入者100万人を突破とのこと。周囲で話題にしている人がいないので、私個人の体感としてはまだあまり浸透していないような印象。
個人の行動の可視化、というこれまで難しかったことが技術の進歩によってできるようになるなら、共同体における望ましい行動をもっとピックアップして褒める(インセンティブを与える)ことができるようになるはず。社会を変える、壮大なテーマではありますが、人と社会は今よりもっと良くなれるはずと信じたいところ。
人間の行動変容、このテーマは引き続き考えていきたいと思います。