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<43歳が謙虚の謎に迫る>77/100

先日43歳の誕生日を迎え、何度か祝いの席で抱負を求められるたびに「謙虚」という言葉を口にしてきました。まぁ、取り立てて珍しいキーワードではないはずです。

しかし、
「謙虚になりたいと言う人が、謙虚になったことはない」(友人)
「周さんが謙虚ではないと、思ったことがない」(同僚)

僕という人間は一人なのに、正反対のフィードバックをもらうのが不思議で、直感的に口にした「謙虚」とは一体なんなのか気になってきました。


謙虚とは何か

一旦、辞書を引いてみます。

自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持ちがあること

Oxford Languages

控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。また、そのさま。

goo辞書

へりくだる。心をむなしくして、高ぶらないこと。

新漢語林

このようにいくつかの解釈を眺めてみると、どうやら2つの意味を内包しているように見えます。

①偉そうにしない(傲慢や横柄ではない)
②他を受け入れる(思考や心に余白がある)


林調べによると、どうやら①は及第点。誰に対してもフラットに接することができると言えそうです。しかし、問題は②にあるような気がします。

合理的なプロセスを好む僕は、「最短」とか「最速」が大好きです。仕事はもちろん、空港のイミグレに並ぶ時も、車で遠出をする時も、いつも最短最速のルートをギラギラした目で探しています。

裏を返せば、「無駄」や「無意味」が嫌いなわけです。でも自分が「無駄」「無意味」と判断しているとき、それは自分の物差し(この場合、合理性は高いほど良いという価値観)でしかないわけです。

世の中にはもっとたくさんの物差しがあり、一見無駄に見えるプロセスに新たな気づきや出会いがあるかもしれない。そう考えると、学生の時は恥ずかしいことに思えた留年なんかも、違う物差しでは価値ある遠回りになるのかもしれません。

「謙虚ではない」という状態に至るのは、必ずしも傲慢だからだけではなく、ひたむきに自分の価値観(物差し)を信じすぎることでも起きるのかもしれません。

謙虚だと何がいいのか

成熟した知性の持ち主は、議論や対話を通じて、「自分が変わる可能性」を追求します。
一方で、未熟な知性の持ち主は、議論や対話を通じて、「相手を変える可能性」を追求します。

山口周

このフレーズの中に「謙虚」という言葉は含まれませんが、ここには謙虚であることのメリットが説明されているように感じます。

自分の価値観で頭や心がいっぱいになってしまっていると、他者の意見を受け入れる隙間がなく、何を聞いても話しても入ってきません、つまり自分が変化しません。もし目先の議論に勝利したとしても、そのプロセスで自分が変化し成長することはないわけです。

これは嬉しいことか?いやいや、僕は何歳になっても変化し成長したいと願っている。(そんな心持ちをGRITとも呼んでいる)

だから、謙虚だと何がいいかといえば「自分が成長できる(かもしれない)」ということなんじゃないかと思います。何を言っても変わらない人のままでいると、いつしか価値ある助言にも出会えなくなるのは必然です。

謙虚!大事

謙虚にはどうしたらなれるのか

「人間が変わる方法は3つしかない。
1番目は時間配分を変える。
2番目は住む場所を変える。
3番目はつきあう人を変える。 
この3つの要素でしか人間は変わらない。
最も無意味なのは、
『決意を新たにする』ことだ。」

大前研一

なんということでしょう。誕生日に「謙虚になる」と決意を新たにすることは、最も無意味だと断じられています。

いやいや、これもまた大前さんの物差し(価値観)であって、他にも解釈があり、謙虚という遠い頂に至る道はあると仮定してみます。

ここでも得意のB面思考を発揮し、「謙虚になる」をGOOD、「謙虚ではなくなる」をBADとして、BADを避ける方法を探ってみたいと思います。

人はなぜ謙虚ではなくなってしまうのか。

ここではあえて書物など読まず、43歳の頭で考察してみます。考えついたのは以下の2点。

◾️経験値
◾️ファイティングポーズ

まずは経験値。

長く生きるほど、様々なことを知り、体験をするほど、多くの経験値がたまっていきます。特に成功体験が人にもたらすパワーは強いことでしょう。
ドラクエでも経験値がたまるとレベルアップして強くなるように、基本的にはいいことだと思います。初めてはドキドキしてたまらなかった海外出張も、数を重ねれば慣れます。「やったことがある」が増えるほど、人は動じなくなり、反応速度も上がります。

一方で経験値が高まるほど、副作用として物事を新鮮に感じる神経が鈍くなるように思います。それが初めて見るものだとしても、過去の類似パターンと紐づけて処理するようになっていく。

傲慢になったつもりなどなくても、この経験値の作用によって処理速度が高まり、異なるルートを検証しなくなってしまう。これが謙虚さを奪う一つ目の罠ではないかと思うのです。

次にファイティングポーズ。

エリートと呼ばれる学歴や職歴が高い人というのは、世代ごとの競争に打ち勝ち、その勝利によって自己の価値を証明してきた人たちです。

これは強烈な成功体験ですから、議論や対話のシーンでもつい相手を上回り、自分の優秀さを証明したくなってしまう。なまじ弁が立つものだから、経験値に差がある相手を容易に圧倒してしまう。本当は勝ったり証明したりする必要がない場面だとしても。(まじ反省)

「この人には話すだけ無駄だな」と思われた時、これまたインプットの機会は減っていきます。勝つ必要がない時に、勝とうとしてはいかんのです。このファイティングポーズが第二の罠。

さて、どうしたものか。巷ではアンラーニングという言葉を聞きます。でも、自分が手にしてきたもの、とりわけ成功体験のような麻薬を手放すことは容易ではありません。

僕が試しているのは「自分は間違っている」とおまじないをかけること笑
「謙虚じゃない病」の完治はしていないので特効薬ではないのですが、「自分が正しい」と信じて固まっている自分の脳みそに、ほんのちょっと隙間を作る効果があります。

43歳の僕がこの文章を書きながら思うことは、どうかこれを読んだ知人友人の皆さんが僕を見捨てずに、これからも関わってくれること。それが耳の痛い話だとしても、おまじないをかけて隙間つくってお待ちしています。

これからもお付き合いのほどよろしくお願いします!

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