見出し画像

はじめに|加谷珪一『スタグフレーション――生活を直撃する経済危機』

スタグフレーションとは、「スタグネーション(景気低迷)」と「インフレーション(物価上昇)」の合成語で、景気が後退するなかでインフレーションが同時進行する経済現象のことです。賃金が上がらず、物価だけが値上がりする状況では単純な節約では乗り切れません。これまでとは異なる対処法が求められているスタグフレーションの時代にいかに生活を守るか?『スタグフレーション――生活を直撃する経済危機』では、国際政治の動きとともに解説します。

はじめに

 長くデフレ(=デフレーション。物価の継続的下落)が続いてきた日本でも、いよいよインフレ(=インフレーション。物価の継続的上昇)が顕著になっていることは、みなさんよくご存知でしょう。

 今回の物価上昇の直接的な原因は、原油価格の高騰やロシアによるウクライナ侵攻、あるいは円安などですが、それだけではここまで大規模なインフレは発生しません。詳しくは本文で解説しますが、一連の物価上昇には、全世界的な需要拡大と量的緩和策によるカネ余り、米中対立による物流網の混乱など、さまざまな要因が複合的に絡み合っています。

 もし単純な要因で価格が上がっているのなら、これらの問題が一段落すれば物価上昇は収まるとの予想が成り立ちます。ところが、多くの専門家が今回の物価上昇は一時的なものではないと考えています。その理由は、数年前から全世界的な需要の拡大にともない、物価が上がりやすい状況が続いており、事態が改善する見込みが薄いからです。

 近年、中国や東南アジアなど、新興国の経済成長によって生活が豊かになっており、エネルギーや食糧の消費が急拡大していました。いっぽう、天然資源の多くは急に生産量を増やすことができませんから、需要過多と供給不足によって、価格には上昇圧力が加わります。こうしたところにコロナ危機やウクライナ侵攻などが重なり、価格上昇が一気に本格化したというのが一連の流れです。

 さらに言えば世界各国は、リーマン・ショックから経済を立ち直らせるため、大量のマネーを市場に供給する量的緩和策を実施してきました。

 歴史が示している通り、マネーが市場に大量供給されればインフレが進みやすくなります。根本的な需要過多の状況に大量のマネー供給が加わり、さらに感染症や戦争という非常事態が重なったことで、インフレが加速しているわけです。これらの要因がすぐに解消する可能性は低く、結果として多くの専門家がインフレの長期化を予想しています。

 もっとも米国など諸外国では、景気は過熱気味に推移しており、その結果として物価上昇が激しくなっていました。このため、金利を引き上げて景気を冷やし、これによって物価を抑制するという手段を選択できます。実際、米国は金利引き上げペースを加速しており、景気を犠牲にしてでも物価を抑制する方針です。

 ところが日本の場合、そうはいきません。日本では長く不景気が続いており、国内経済は低金利が大前提となっています。このため、急に金利を引き上げると、景気が一気に腰折れしてしまう可能性があり、諸外国のような高金利政策を採用できないのです。

 インフレ自体やっかいな現象ですが、さらに恐ろしいのは不景気下でのインフレ、つまり「スタグフレーション」です。経済がスタグフレーションに陥った場合、ほとんどの経済政策が効果を発揮しなくなり、そこからの回復はきわめて困難です。スタグフレーションは、各国経済にとって、もっとも回避しなければならない事態の1つと言ってよいでしょう。

 諸外国もインフレ対策を誤ればスタグフレーションに陥る可能性は十分にありますが、そもそも不景気が続いている日本の場合、特にスタグフレーションのリスクが高いと言わざるを得ません。つまり日本経済は、恒常的な不景気に物価上昇が加わるという最悪の事態に陥る可能性が十分に考えられるのです。

 本書は今、日本で起こっている物価上昇について、可能な限り詳しく、かつ平易に解説することを目的に執筆しました。

 日本は過去30年にわたってデフレが続いていましたから、多くの人がインフレというものの現実についてよく理解していません。これまでの時代は、デフレさえ脱却すれば日本経済が鮮やかに復活するという安易な主張をよく耳にしましたが、インフレはそのような生やさしいものではありません。いったん、制御できないインフレが始まってしまうと、国民生活にはきわめて大きなダメージが及びます。

 インフレがどのようなメカニズムで発生し、モノの価格がどう変化していくのか、それによって私たちの生活にいかなる影響が及ぶのか、順を追って解説していきます。 また最終的にインフレを克服する方法や、家計における防衛手段についても言及します。

 本書は、6つの章で構成されています。第1章では、このところ相次いでいる値上げについて、どのような商品の価格が上がっているのか、家計にはどのような影響が及んでいるのかについてまとめました。とりあえず第1章を見ていただければ、物価上昇の現実がおわかりいただけると思います。

 第2章では、製品やサービスの価格が決まる仕組みについて解説します。ガソリン価格が原油に連動して動くことや電気料金の算定ルール、あるいは商品のコスト構造などを明らかにすることで、何が価格に影響を及ぼしているのかを明らかにします。土地の価格が上がっていないのにマンションが値上がりする理由などについても触れていきます。

 第3章は、円安についてです。日本の場合、資源価格の高騰に加え円安という要因が加わっているので、物価にはさらに大きな上昇圧力が加わります。日本は多くの商品を輸入に頼っており、輸入なしで生活を成り立たせることはできません。加えて、円安を防ぐため金利を上げる選択肢がほぼ閉ざされており、これが対応を難しくしています。日本が置かれた袋小路的な状況について解説します。

 第4章は、1970年代に発生した深刻なインフレについてです。当時のインフレも原油価格の上昇に、貨幣的要因が加わったものであり、今回と状況がよく似ています。状況が似ているということは、今回のインフレも深刻であることの裏返しですが、当時の経緯を分析すれば、現状を打開するヒントが得られるはずです。

 第5章は、インフレが発生するメカニズムについて解説します。基本的に経済は需要と供給で成り立っていますが、インフレが発生すると需要曲線や供給曲線がシフトし、これが価格を引き上げる作用をもたらします。インフレのやっかいなところは一般的な景気対策を実施できないことですが、その理由について経済理論の面から解説していきます。

 第6章は、インフレ時代における生活防衛術です。インフレが進んでいる時には、生活はどう防衛すべきなのか、資産形成はどうあるべきなのか、物価上昇のメカニズムに沿って考えます。インフレ時に現金保有は危険ですが、いっぽうで、株式投資も必ずしも安全とは言えません。住宅ローンの借り方についても工夫が必要となります。

 インフレは多くの人にとってきわめてやっかいな出来事であり、対策も限られてきます。しかし過去にもインフレは発生しており、多くの人が知恵を絞って乗り越えてきた歴史があります。重要なのは、イメージや噂に惑わされることなく、事実をもとに適切に対処することです。そのためには物価上昇の仕組みについて、正しい知識を身につけることが肝要です。それでは、順に説明していきましょう。

加谷珪一

続きはコチラ▼