【小説】つまらない◯◯◯◯ 52
俺が付き合っている人に、他にセックスしてみたい人がいればセックスしてくれればいいと思っているのは、そういう肉体同士の距離感というものが、なかなか自分ではどうすることもできないものだからというのもあるのだ。一度その人に対して身体が閉じてしまったら、よほどの何かがないかぎり、またその人の身体を屈託なく求められるようにはなれない。相手から自分に向けられた拒絶や無関心を、身体はいつまでも忘れてくれない。俺の場合、それを覚えたままでいる身体に、もう一度この人に身を任せてみようと思えるほどの触り方をしてきてくれた人は今までいなかった。それは簡単なことではないのだろう。仲良くしたいとか、また安らかにくっつき合いたいと願ってくれているだけでは、閉ざされたものの奥にまで届かなかった。そんなふうに壊れてしまったものを直そうとするよりも、新しく始めたものを壊れないように注意しながら続けていくほうが、うまくいくんじゃないかとも思う。
俺のほうは相手に対して身体を求める気持ちがなくなっても欲求不満になったりしなかったけれど、相手は誰かに身体を求められたかったりもするだろう。身体も含めた自分の全部を求められたいと思ったりもするだろうし、自分に触れたいと強く思っている手が自分に触れる瞬間の感覚や、自分が触れたいと強く思っているものに手を触れる瞬間の感覚を感じたくなったりもするだろうと思ってしまう。
だから、浮気してくれていいし、そもそも、いつでも俺のことは捨ててくれていいと思っていたのだ。すでにセックスレスになっていたのならなおさらそうで、また新しく他の人とお互いに触れ合いたいという気持ちで過ごしてみて、やっぱりそういう身体を含めた関わりのほうがいいと思ったなら、俺を捨ててくれればいいと思っていた。俺と一緒にいると安心できて、幸せだったとしても、身体を含めた自分の気持ち全部を使って関われる相手と生きられることのほうが、その人にとって、もっと大切なことなんじゃないかと思っていたのだ。
けれど、俺がそんなふうに思っていたとしても、相手はまったく違った基準で俺を大切にすることに固執していた。そもそも、セックスで俺を愛してくれていたわけでもなかったのだろうし、好きだと思える相手と一緒にいられることのほうがよほど大事だったのだろう。緊張感とセットにした充実感が薄れたと思っていたのは俺だけで、相手は安心できるようになって満足していたのだから、関係を続けていられるのは当然だったのだろう。関係を続けながら、当たり前のように私がセックスしたいのは他の人ではなくあなたなのだと思い続けてくれていたのだと思う。実際に、セックスなしでも楽しくやれていたのだし、俺はさっさと諦めてしまっていたから、セックスレスにいらいらすることもなかった。セックスがないからといって俺は一緒にいて楽しそうにしているから、相手もこれでもいいかと思ってしまうのは仕方がないことだったのだろう。
俺にとっても、相手と過ごす時間はいい時間だから、それを続けることは嫌ではなかった。物足りなさを感じ始めたあとも、会ってしまえば、物足りなく思っていたことも忘れて楽しく一緒にいられた。けれど、相手に気持ちを動かされるようなことは減っていくし、一緒にいる気分としてはいつも似たような感じになってきて、けれど付き合いが長くなるほど会う頻度が高くなって、何のためにこんなにたくさん会っているんだろうと思うようになっていった。もうそのときには、付き合ってはいるけれど、恋愛はしていないという状態だったのだろう。お互いにそう感じていたのかもしれない。そして、相手は恋愛ではなくなったとしても俺と一緒にいたいと思ってくれていたけれど、俺は相手との付き合いを、まだ恋愛だったころの充実感が欠けてしまったもののように思っていて、それがずっと続くのなら、自分はこの物足りなさに耐えられないだろうと思うようになっていった。
今までの人にしたって、セックスレスになってしばらく時間が過ぎた頃には、俺にとって相手との関係は、もう過去に属するものになっていたのかもしれない。この人を好きになれてよかったし、これからもずっと好きでいられるという感謝のような気持ちで、もう相手に何も望んでいるものがないまま、あとは相手が望むことをできるかぎりしてあげようとしか思っていなかったのかもしれない。セックスを中心として、この関係はもう壊れ始めていて、自分はそれが壊れていく様子を見守っているしかないのだというような気持ちだったのかもしれない。
別れようかと思う頃には、俺の中の相手への感情は、ただ好ましく思っているというだけの澄んだものになっていた。セックスであれ、話していてであれ、相手と関わっていて満たされない気持ちがあっても、そういう相手への不満はだんだんと不満ではなくなっていってしまう。不満に思うところがその人らしさでもあるときに、それを変えてほしいとは思えなくて、この人と自分ではこうなってしまうのだと諦めていたのだろう。そして、いろんなことを諦めたあとには、ただその人がそんな人であることを素敵な人だなと見守る気持ちしかなかったのだ。
だから、別れることになっても、別れたあとでも、相手を好きな気持ちはまったく変わらなかった。恋愛がこじれたのではなく、俺がこじれてしまって、相手の望むものをあげられなくなったのだ。俺はもうしわけないなと思いながら、ずっとその人を好きだった。だから、別れたあとでもそれは変わりようがなかったのだろう。そして、痛くなってできなかった人以外、セックスレスになってから別れたあとで久しぶりに会って、その人とセックスしたいというふうに思ったことがなかったけれど、身体は何年たっても相手の身体の感触を忘れてくれないということなのだろう。そして身体が相手を忘れないのと同じように、気持ちもその人の素晴らしさをいつまでも忘れない。俺にとって別れた人と会って話している時間というのは、何に焦らされることもない、ただ楽しくうれしいだけの、とても穏やかな時間だった。
付き合っていた人たちと、もっと長くセックスが続いていたならなとは思う。けれど、セックスがうまくいかなくなったことについて、俺は自分を被害者だとは思っていないのだ。俺がひとりで空っぽな気持ちになって、あまり充実できていない顔でセックスしたことで、相手を傷付けたのだ。またこんなふうに感じて、また大切な人を傷付けていると、自分にうんざりしてきた。俺がセックスですれ違っていると感じたとき、相手は喜んでいたのだし、幸せを感じていたのだ。こんなふうに何も不安じゃない安らかな気持ちで一緒にいられるようになったんだなと、うれしそうにしている顔をこちらに向けてくれていたのだ。その顔に対して、自分のことを感じてくれていないと悲しくなって気持ちを閉ざしていくなんて、ひどいことだなと思う。そして、そんなふうに俺から傷付けられても、セックスレスなりに楽しく一緒に過ごしてくれているのに、それなりに満足そうな相手を眺めながら、物足りないだとか退屈だと思っているなんて、あまりにもひどすぎる話だなと思う。
(続き)
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この作品よりあとに書いたものなので、こちらのほうが面白いです