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【小説】つまらない◯◯◯◯ 34

 聡美がテレビにアップになったサッカー選手に「この人かっこいい」と言った。
 俺もテレビを見ていて、ふーんと答えた。それはドイツ人で、いかにもドイツ人的な顔をしていた。ベルギー代表の選手についてもかっこいいと言っていたし、かなり白くてあまりゴツゴツしないくらいのゲルマン系の顔が好きなんだなと思った。
「めっちゃかっこいい」
 聡美はそう言ってにっこりしている。
 このまま黙って聡美の好きにさせてあげることもできるのだ。そうすれば、少なくても聡美が言っている意味では、聡美を幸せにしてあげられるのだろう。聡美を楽しませてあげることは簡単だし、いい気分にしてあげることも簡単なのだと思う。
 自分が誰かの安心できる場所になることが嫌なわけじゃないのだ。相手をそのままを肯定したいという気持ちはあるし、付き合っている人にも、俺の機嫌を取ろうとせずに自分の気持ちがいいように好きにしてほしいと言ってきた。付き合っていた人とは、相手が自分のそばにいることを当たり前に感じられる関係になっていたし、それが心地よくもあったとは思う。けれど、俺と一緒にいることを当たり前に感じてくれるのはいいとしても、俺のことを当たり前のように、空気のような存在に思われるのは、かえって息苦しかったりする。俺のほうは、付き合っている相手を空気のようには思えないのだ。相手といる時間を自分の時間だと思っていないのもそうだけれど、ひとりでいるようには誰かと一緒にいられなかった。ひとりでいればいろんなものに何かを感じられるけれど、誰かと一緒にいるとその人に意識がいってしまう。だから、その人が何かを感じさせてくれないと、何を感じていいのかわからなくて居心地が悪くなってしまった。
 たとえば、何かを話していたとして、それが連絡事項のようなものではなく、多少でも相手が何かを思いながら喋っているのなら、それは当たり前のようにして聞いてはいけないんじゃないかと思う。いつもと似たようなことを言っているとしても、そのときにはそのときの感情があるのだ。本人にとっては、今は今で何かを思っていて、ほんの少しは今までとは違うものも含んでいるのに、それをいつものことのように聞かれていると、いつも話している範囲を越えて話を進めようとしにくくなる。いつものパターンが強まりすぎることで、そのパターンから外れた自分の感情や思いが、相手がいつものパターンで楽しそうにしているのに水を差すような、邪魔なものに感じられてしまうのだ。相手から水を差されたと言われたわけでないし、相手もそんなつもりでいつもどおりにしていたわけでもなかっただろうし、俺が勝手に言うのをやめていただけなのだろう。けれど、そんなふうに、相手と親しくなっていくほどに、思っていることを最後まで言わなくなっていく人はたくさんいるのだろうと思う。何事もなく楽しく過ごしたいと思っている相手と何事もなく楽しく過ごすには、何事でもないような気持ち以外は相手に向けてはいけないということになっていく。そんなふうに一緒に過ごしていると、ふとしたときに息苦しくなることがある。その人と駅で別れて、ひとりになってふとしたときに、自分の気持ちを持ち込んでその人と過ごせていないことに、息苦しくなったりするのだ。
 友達でも、恋人でも、仕事の同僚でも、関わりが長くなっていくと、お互いのあいだで当たり前になっていくものがどんどん増えていく。どこで人と関わっても、何もかもがどんどんと当たり前のものになっていく。そうやって、最初は緊張感があって気疲れした相手とも、楽に関われるようになっていく。それはいいことでもあるのだろう。緊張感がなくなっていって、伝えるのに緊張感が必要なことが、緊張感を出すまで苦労したうえでないと伝えられなくなるとはいえ、相手と一緒にいることは気楽で心地のよいことになっていく。けれど、俺としては、当たり前はそんなにたくさんいらないのだ。だから、せめて付き合っている相手からは当たり前じゃないものを感じ続けたいと思ってしまう。自分の生活の中で、その人に多くの時間を割くのなら、その相手に何かふとしたことで気持ちを動かされたいなと思うし、自分の思ったことを思ったままに伝えて、それに何か思ってほしい。せっかく仕事や用事を介して忙しく関わるのではなく、ゆったりと一緒にいられるのだから、一緒に平和な時間を守りあって安心するだけではなく、お互いに刺激を受けるために付き合いたいと思ってしまう。
 けれど、聡美はむしろ、恋人とこそ安心して当たり前のようにのんびりと過ごしたいのだろう。傷付きたくなくて、傷付けられるかもしれないことに不安になりたくないのだ。それは、気持ちを動かされることとは逆の思い方なのだと思う。
 テレビでは、ブラジルとコロンビアの試合のダイジェストが終わって、解説者がゴールシーンについて話していた。この試合がやっていたころはまだセックスをしていたのだ。テレビ中継が始まって試合がもう数十分で始まりそうな頃にキスをして、セックスが始まったのだ。昨日のこの時間は終電を逃したあと、まだ店で飲んでいた。もう少ししてから店を出て、それからサッカーの放送をやっている店に行って、フランスとドイツの試合を見ながらだらだらと喋っていた。今思うと、聡美はそれほど一生懸命サッカーを見ていなくて、俺のほうを見ながら、俺が試合について何か言っているのに適当な感じで言葉を返していた。
 ちょうど二十四時間前は、まだそんな感じだったのだ。もう少しで今日の試合も始まる。アルゼンチンとベルギーの試合で、ベルギーにはイケメンという意味で聡美の今大会一番のお気に入り選手がいる。明日は用事があるし観ないのだろう。昨日も、ブラジルとコロンビアの試合を見れなかったねと言うと、「そっかぁ。でも、ワールドカップより私たちの最初のエッチのほうが大事じゃない?」と言ってうれしそうにしていた。
 タバコに手を伸ばしたけれど届かなくて、起き上がってタバコに火をつけた。聡美のほうを見て、聡美と反対のほうに煙を吐いた。
 表情の感じが昨日までと違うなと思う。けれど、それはそうなのだろう。俺が今まで見ていたのも、俺が話していたのも、彼氏のいない聡美だったのだ。そして、今俺が見ているのは彼氏のいる聡美なのだ。
 二度煙を吐いて、灰皿を引き寄せてタバコを置いて、また聡美の膝の上に戻った。
 どうしてなんだろうなと思う。もう何年も幸せになりたがって過ごしている聡美がいまだに幸せになれていないことが、ひどく不自然なことに思える。どうしてこんなに素晴らしい人が、今まで幸せになりたいと思いながら過ごしていて、いまだに幸せになれていないのだろう。とっくにいい人と一緒になれていたはずなんじゃないかと思ってしまう。



(続き)


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