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終電をなくして家に行ったらもう付き合っていることになっていた彼女
最初にセックスしたあと、シャワーを浴びてからベッドに並んで横になっているとき、聡美が「私たちが付き合ってるって知ったら」というように話していて、それにはぎょっとしてしまった。
もうこれで付き合っていることになるんだなと思ったのだ。
聡美さんは会社の同僚だったけれど、俺が入社してから二年くらいはほとんど喋ることもなく、ずっと何があったわけでもなかった。
1年半前くらいに、会社の忘年会の翌日に、聡美が参加費の徴収をしてくれていたのだけれど、俺が金を渡しにいくのを忘れたまま、その年の最終出社日が終わってしまって、家に帰ってからそれを思い出して、フェイスブックのメッセージで「忘年会、金払い忘れてた。ごめんね。来年払うね」と送っていた。
「お金持ちだから大丈夫。いつでもいいよ。よいお年をねー」と返事が来ていて、俺は「お金持ちだったのか。じゃあ延滞金請求されないね。貧乏だから安心した。よいお年をー」と返した。
けれど、それ以上にやりとりが続いたわけでもなく、新年になって金を渡してからはまたずっと何もなかった。
その他には、聡美が幹事をしていた飲み会に、俺が仕事が長引いて行けるかどうかわからなかったときに、来れそうだったら電話しろと聡美が電話番号を送ってくれたことがあった。
結局仕事が長引いたから、そのときは行かないと連絡しただけだったけれど、何日かして、そこでのやり取りの流れで、仕事のことやその他くだらないことを少しやりとりした。
けれど、半年前くらいまでは、二年間のうちにその程度のやりとりがあっただけで、普段会社ですれ違うときでも会釈をするだけで、立ち話をするようなこともなかった。
俺のほうとして、少し意識が変わったのは、席替えで聡美が自分の斜め向かいの席に移ってきてからだった。
顔を上げれば聡美の顔が見える状況になったのだけれど、それまでその席に座っていた人たちに比べて、聡美は圧倒的に仕草や表情の変化が大きくて、それがちょくちょく視界に入ってくるだけで、また何かやってるなと思って気がまぎれていた。
手つきや目付きが素敵な人だなとも思ったりしていたのも、その頃からだった。
背の低いパーティションを挟んだ隣の部署に、自意識過剰をこじらせたおじさんがいて、たまに部下に向かって、たいした内容でもないことを仰々しくまくしたてていることがあった。
そのえらそうな話し声が聞こえてくると、聡美は画面に顔を向けたまま、鼻で笑うような表情を作ったり、げーという顔をしたりしていた。
俺もそのおじさんの子供じみたえらぶり方に呆れつつも、えらそうにしているのと不釣り合いな話の内容のたいしたことのなさを面白がっていて、たまに笑いをこらえて下を向いていたりした。
だから、そのおじさんが誰かをつかまえて、いつもの調子で話し始めたときに、それに無音で笑いながら聡美のほうを見ると、聡美もおじさんに反応してリアクションをとっているところで目が合ったりして、無言で一緒におじさんを笑っていたりした。
おじさんはいつも静かなオフィスの中で大きな声でえらぶっていたけれど、他の人は驚くほどに無反応だった。
みんな慣れていたり、呆れるのにも飽きていたのかもしれないけれど、言っていることがいかにおかしいかを面白がって顔にまで出していたのは、俺と聡美だけだったのだと思う。
そうやっておじさんを笑い合うことが何度かあるうちに、おじさんが話し始めたときに社用パソコンのメールで聡美におじさんへの突っ込みを送ったり、聡美からその返事が来たり、その流れで特に何という内容でもないけれどふざけた感じのやりとりをしたりするようになった。
俺は会社の雰囲気が苦手だったり、上司の人柄や仕事のやり方が合わなかったりして、入社以来ほとんどずっとうんざりしていた。
けれど、聡美が斜め向かいに来てから、職場で席に付いているときの苦痛がずいぶん和らいだ。
見ると楽しい人が近くにいるというのは、気持ち的にかなり違った。
だから、聡美が部署を異動すると知ったときは、自分でも驚くくらいにひどく残念だった。
会議でそれを知った日、帰りの電車の中で、異動するんだね、とメッセージを送った。
聡美からの返事の中に「ま、部署変わっても飲みに行きましょ~や。ってあんま行ったことないけど(笑)」とあって、「飲みに行きたいね。全然のんびり話したことないもんね」と返すと、「ホントに飲みに行こうよ~。ちょい暇な日教えて~」ときて、「飲みは、暇な日は、別にいつでも。そっちの都合いいときでいいよ」とやりとりした。
けれど、そのやりとりをしてからは特に何事もなく、聡美からの連絡もないままで日が過ぎていった。
その時点では、俺はどう思っていたのだろう。
思い出せないけれど、聡美とどうしたいというわけでもなかったように思う。
聡美にしても特に俺に興味があるわけでもないのかもなと思っていたように思う。
それまでに、聡美をよさそうだなとか、ああいう手つきで触られてみたいなとか、そんなふうに想像したりはしてはいたけれど、かといって付き合っている彼女もいたし、何を期待していたわけでもなかった。
飲もうと言ってくれているのなら飲んでみたいなと、そんなふうに思っていただけだったと思う。
そして、飲もうというやりとりをして一週間後くらいに、俺は付き合っていた彼女と別れた。
それからまた日が過ぎて、聡美からはその後も連絡はなかった。
俺のほうとしても、気分が塞いでいて、聡美のことを考えることもなかった。
けれど、会社に行くと斜め向かいに聡美がいて、たまにぼけっとしながら、あの話はどうなったんだろうと思ったりはしていた。
社交辞令的に話を合わせてくれただけで、特に俺と飲みたいというわけではないんだろうなと思って、そうなら残念だけれど、それくらいの印象しか持ってくれていない人と飲んでも仕方ないしなとか、そんなふうに思っていた。
このまま放っておいたほうがよかったりするんだろうなと思いながら、けれど、多少面倒くさいなと思われても、一回飲みに行けたら自分としてはうれしいかなと思って、いつ飲みに行こうかとメッセージを送ろうかと思ったりもした。
けれど、なんとなく億劫で、そういう機会があればそのとき誘えばいいかと先延ばしにしていた。
そう思って何日か過ぎてから、会社の廊下を歩いているときに向こうから聡美が来て、他に誰もいなかったから思い切って声をかけて、いつ飲みに行くかを聞いた。
聡美は話しかけられたことに驚いた感じで「じゃあまた予定見て連絡するよ」と言っていた。
たしかに、俺から声をかけられて立ち話をするなんていうのは初めてのことだったのだ。
その次の日に、来週の木金なら開いていると連絡が来て、じゃあ金曜日に飲みに行こうということになったのだ。
(続き)